イタリア統一運動(リソルジメント)により、中世以来小国分立状態が続いていたイタリアが1つとなり、現イタリア共和国の前身イタリア王国の樹立が達成されています。しかしその後も以下のような問題は続いていました。
イタリア王国樹立後も、南チロル、ヴェネツィア、トリエステなどオーストリア領とした残った地域があります。それらは「未回収のイタリア」として、イタリア王国の課題として残り、イレデンティズモ(復帰運動)が活発化しました。
イタリアの代表的都市、水の都ヴェネツィアはイタリア王国建国の時点ではまだオーストリア領だった。
イタリア統一運動を行った人々には、共和派と立憲君主派がいました。統一運動の中では、「オーストリア支配からの解放と独立」いう共通の目的のために手を取り合っていましたが、統一後は共和派が始めたイレデンティズモ(復帰運動)に、立憲君主派が政治的圧力を加えるなど、同じ民族同士で対立が顕在化しています。
1861年のイタリア統一の結果できた世界は、全てのイタリア人にとって満足なものだったわけではないことは知っておきましょう。
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