オットー1世とは何をした人?〜神聖ローマ帝国の建国〜

 

オットー1世の基本情報

 

生年:912年
没年:973年
出身:ヴァルハウゼン
死没地:メムレーベン
別名:オットー大帝
功績:神聖ローマ帝国の建国

 

オットー1世(912年 - 973年)はザクセン朝第二代王で、初代神聖ローマ皇帝です。学芸の振興に励みオットー朝ルネサンスを創出したことからオットー大帝とも呼ばれます。王朝の開祖ハインリヒ1世から王位を継承し、936年東フランク王に即位。在位中は侵入してくるデーン人・マジャール人対策や王権の拡大、キリスト教の布教に尽力し、962年にローマ皇帝として戴冠を受け、神聖ローマ帝国を成立させました。また彼は神聖ローマ帝国の「イタリア政策」を最初に始めた人物でもあり、教皇から戴冠をうけたのも、その功績が評価されてのものです。

 

 

オットー1世の偉業・功績

961年ローマに遠征し、教皇領を脅かしていたイタリア王ベレンガーリオ2世を打倒。その功績が認められ、962年教皇ヨハネス12世からローマ皇帝として戴冠を受け、神聖ローマ帝国を現出しています。また955年レヒフェルトの戦では東方から侵略してきたマジャール人を撃退し、勢力基盤を安定させたことや、帝国直属教会の聖職者を官僚化し、教会領や修道院領を支配下に置く「帝国教会政策」で勢力拡大を推し進めたことも特筆すべき功績としてあげられるでしょう。

 

帝国教会政策は約200年にわたり神聖ローマ帝国の国家運営方針として採用されましたが、叙任権闘争の原因にもなりました。

 

オットー1世戴冠の意義とは

オットー1世戴冠の意義は、中央ヨーロッパの地に、その後のヨーロッパ情勢を大きく左右していくこととなる、神聖ローマ帝国の成立に繋がったということでしょう。神聖ローマ帝国は962年オットー戴冠にともなう成立から1806年ナポレオンに滅ぼされるまで存続しました。

 

15世紀以降、神聖ローマ帝国に権力基盤を築いたハプスブルク家による婚姻政策、および神聖ローマ帝国とその西方のフランス、東方のロシアやオスマン帝国との覇権争いが、現在のヨーロッパ秩序の基礎を作ったといっても過言ではありません。

 

とりわけ16世紀以降の宗教改革をきっかけに神聖ローマ帝国を構成する領邦の自治が高まっていったこと。宗教改革による宗教対立から三十年戦争に発展し、その講和条約ウェストファリア条約で、各領邦に主権が認められたことで、主権国家体制の構築、すなわち近代社会への移行が始まった・・・というのも大きな意義として挙げられます。