マケドニア王国のアレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシア文化とオリエント文化の融合が起こり、その結果成立した「ギリシア風文化」のことをヘレニズム文化といいます。ヘブライズムとともにヨーロッパ文明の二大源流となりました。
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ヘレニズム時代とはヘレニズム文化が隆盛を誇った時代のことで、その始まりと終わりについては、アレクサンドロス大王のペルシア征服(前330年)もしくは死(前323年)からローマ帝国による地中海統一(前30年)までのおよそ300年間という見解が一般的です。
アレクサンドロス大王の死後、遺された広大なマケドニア領を巡る継承者争いが勃発(ディアドコイ戦争)。その結果残ったアンティゴノスのマケドニア王国、プトレマイオスのエジプト王国、セレウコスのシリア王国が、「ヘレニズム三国」としてヘレニズム文化を牽引していくことになりました。
しかしアンティゴノス朝は紀元前168年に、セレウコス朝は紀元前63年に、イタリア半島を拠点に急速に勢力を拡大してきた古代ローマに征服されます。プトレマイオス朝は最期のヘレニズム国家として粘り強く残りましたが、紀元前31年のアクティウムの海戦でローマに敗れた結果、滅亡を余儀なくされ、これをもってヘレニズム文化は終焉したと解釈されます。
ローマによる征服と同時にヘレニズム文化が消滅したわけではなく、文化そのものはローマ帝国に継承され、後世のビザンティン文化の礎となりました。
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