インノケンティウス3世の基本情報
本名:ロタリオ・ディ・セニ
誕生:1161年ガヴィニャーノ
死没:1216年ペルージャ
在位:1198年 - 1216年
政策:イングランド王ジョン・フランス王フィリップ2世を破門/アルビジョア十字軍を結成しカタリ派を討伐
インノケンティウス3世(1161年 - 1216年)は貴族出身のローマ教皇で、教皇権全盛期に君臨した人物です。本名はロタリオ・ディ・セニ。1198年就任後は、教皇権の拡大に尽力しました。そして司教の任命問題を理由にイングランド王ジョンを破門、離婚問題を理由にフランス王フィリップ2世を破門するなど、西欧諸国の政治問題に積極的に干渉し、宗教問題に関してはアルビジョア十字軍を組織することで南イタリアの異端(カタリ派)討伐を敢行しています。「教皇は太陽、皇帝は月」という彼の有名な言葉が表すように、皇帝権をもしのぐ強大な教皇権をふるうようになるのです。
婚約者インゲボルグとの婚約を破棄して、別の女性と結婚したフィリップ4世を破門しています(離婚はカトリックの教義に反するため)。結局フィリップ4世はインゲボルグと結婚することで破門を解いてもらいました。
第四回十字軍が、「エルサレム奪還」という本来の目的を見失い、キリスト教徒の町ザラを襲い、略奪を行ったことを受け激怒。十字軍全てを破門しました。
教皇の承認を得ずに司教を任命しようとしたイングランドのジョン(欠地王)を破門しました。ジョン王は許しを得るためイングランドを教皇に献上しており、これで権威を失ったジョン王は大憲章(マグナ・カルタ)の承認を余儀なくされています。
即位前の誓約を破りシチリア遠征を強行したオットー4世を破門しました。さらにフリードリヒ2世を帝位につけ、オットー4世を廃位に追い込んでいます。
|
|
|
|