ウェルキンゲトリクスとは何をした人?〜ガリアの首領としてカエサルに立ち向かう〜

ウェルキンゲトリクスの銅像

 

ウェルキンゲトリクスの基本情報

 

誕生:前72年にて
死没:前46年にて
民族:アルウェルニ族
指揮した戦争:アウァリクム包囲戦/ゲルゴウィアの戦い/アレシアの戦い
政策・実績:ガリアの諸部族をまとめあげ、ローマのガリア侵攻に抵抗

 

ウェルキンゲトリクス(前72年 - 前46年)は共和政ローマ末期のガリアの首領で、ガリア戦争において、内乱でバラバラだったガリア部族をまとめあげ、最後までローマのガリア支配に抵抗した人物として知られます。まだフランスという国がなかった時代の人物ではありますが、フランスにおいてはフランス最初の民族的英雄という位置づけです。

 

ウェルキンゲトリクスの経歴

ウェルキンゲトリクスは父の暗殺後、20歳前後で族長となりました。そしてカエサル率いるローマ軍がガリア侵攻を開始すると、直接対決は避け、ゲリラ戦・兵站破壊を駆使した持久戦に持ち込むことで、ローマを大いに苦しめました。しかし紀元前52年アレシア包囲戦で大敗を喫したことで、部下の安全と引き換えに降服。ウェルキンゲトリクスはローマに連行され、6年の投獄生活を送ったのち、前46年のカエサルの凱旋式の後処刑されました。

 

ウェルキンゲトリクスの出身

ウェルキンゲトリクスは、ガリア人の一部族であるアルウェルニ族の出身です。アルウェルニ族は現在のフランス中南部オーヴェルニュ地域圏一帯に居住していた民族で、紀元前3世紀から紀元前2世紀頃にかけて最も繁栄していました。紀元前123年からローマの支配下に置かれるも、紀元前52年にウェルキンゲトリクスが首長になると、反ローマの旗色を鮮明にし、ガリア征服に抗する諸部族の中でも最も有力な勢力としてローマを苦しめるようになるのです。