ローマ帝国がキリスト教を国教化したのはなぜ?

ローマ帝国では、皇帝にとって都合が悪い教義であったキリスト教を否定し、信者を長らく迫害していました。

 

そのローマ帝国が、キリスト教を国教化したのはなぜでしょうか?国教化への変遷を簡単に解説します。

 

 

国教化以前のキリスト教に対する姿勢

ローマ帝国は多神教国家であったので、キリスト教についても他の宗教と同じように、禁止等の締め付けはそれほど厳しくなく、容認の姿勢を取っていました。

 

多少の迫害はあったものの、大規模なものでは無かったようです。ただ、時代が進むにつれて、皇帝崇拝を強いるローマ帝国に従わないキリスト教への迫害や弾圧は激しくなっていきました。

 

キリスト教の容認へ

3世紀半ば頃からローマ帝国内が混乱していくにつれ、キリスト教信者は更に広まっていきました。

 

迫害も続き、303年にディオクレティアヌス皇帝による非常に大規模な迫害が起こりました。

 

その後、コンスタンティヌス1世とリキニウスの二人の皇帝によって、313年にキリスト教を公認するミラノ勅令が出されました。

 

この勅令により、キリスト教徒への迫害に終わりを告げ、実際にキリスト教が国教化されたのは、392年でした。

 

国教化の目的は

キリスト教の国教化は、キリスト教が下層階級だけでなく既にあらゆる階層に浸透していたこともあり、政治利用する目的が第一にあったようです。

 

また、ローマ帝国内には、ローマ土着の宗教や異教の信仰も根付いていたので、宗教面においても様々な宗教が混在する状態で、宗教統制を図りたくとも難しい状況でした。

 

こういった背景もあり、キリスト教の容認から段階を経て国教化することは、皇帝にとってキリスト教を都合が良く利用できるようしたとも言えます。

 

いずれにしても、キリスト教の国教化は政治目的と当時のキリスト教信者の拡大に抗えなかったという理由が大きいのではないでしょうか。