フランク王国とフランスの違いとは?

フランク王国は5世紀後半、おおむね現在のフランスにあたる地域に成立し、最盛期にはドイツなども含めた西ヨーロッパ全域を支配した王国です。フランスの起源は、9世紀にフランク王国の分裂により成立した西フランク王国とされています。

 

 

フランク王国成立からフランス成立までの流れ

481年、クローヴィスによるメロヴィング朝創始にともないフランク王国は成立しました。クローヴィスの死後、王国は分裂と統一を繰り返すも、613年、クロタール2世によって再統一し、その後、メロヴィング朝は宮宰の家系であったピピン3世によって倒され、カロリング朝が始まります。

 

756年ピピン3世が戦争で獲得したローマ周辺の土地をローマ教皇に寄進(ピピンの寄進)したため、フランク王国はローマ教会の後ろ盾としての地位を確立しました。

 

王国の分裂

その後カール大帝が西ヨーロッパ全域にフランク王国の版図を広げますが、カール大帝の死後、フランク王国領はヴェルダン条約(843年)、メルセン条約(870年)により分裂し、西フランク王国、東フランク王国、イタリア王国の3つの王国が成立しました。

 

このうち西フランク王国は、987年にユーグ・カペーが即位したことで、カペー朝の支配へと移ります。このカペー朝創始以降の西フランク王国を、歴史学上ではフランス王国と呼び、それ以前のカロリング朝の西フランク王国とは区別しているのです。

 

メルセン条約によって定められた国境。青色の領域が西フランク王国で、フランス王国の原形となった。