マレンコフ(1902年 - 1988年)はソ連の政治家で、スターリンの死後わずかな期間最高指導者の座についていた人物です。オレンブルグ出身で、十月革命ののち志願して赤軍に入隊。スターリンの個人秘書を経て、30年代以降次々と党の重要なポストを任されるようになりました。(大粛清にも加担)
独ソ戦では国家防衛委員会委員としてナチス・ドイツからの祖国防衛に尽力し名声を高め、53年スターリンの死にともない首相、第一書記に就任。事実上の最高指導者の地位につきました。しかしまもなくフルシチョフに第一書記の座を譲り、首相も辞任。さらに55年のスターリン批判を受けてフルシチョフと対立するようになり、57年フルシチョフ追放を策謀したことであらゆる役職をはく奪され、失脚しました。
ソ連の歴代最高指導者で、マレンコフの存在感がほとんどないのは、やはりその任期の短さのせいでしょう。
彼はスターリンの側近としてフルシチョフと肩を並べる存在で、スターリンの晩年はマレンコフが書記長の仕事を代行するほどでした。そして1953年スターリンが死去すると、首相となり、党運営の中心となる書記局の主導権を握ったことで、事実上の最高指導者となっているのです。
しかしまもなく書記局の主導権をフルシチョフに譲り、権力分立体制が構築されたため、最高指導者としての時代は半年ほどで終わりました。さらにマレンコフはその後、フルシチョフとの政争に敗れ、55年には首相辞任・失脚し、党を追放されていることも、彼の存在感のなさに拍車をかけているといえます。
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