大航海時代の幕開けは、インド史に重大な影響をおよぼしています。大航海時代に入り、ヨーロッパ列強がこぞってインドの支配圏をめぐり争い、その中でインドの経済や政治状況に大きな変化をもたらしたからです。
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1498年5月20日、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがアフリカ南端の喜望峰を回航し、インド西岸のカリカットに到達。いわゆる「インド航路」を発見し、ポルトガルはインドの西海岸ゴアに拠点を築き、香辛料貿易を加速させていきました。ゴアはヨーロッパ人による東アジア支配の拠点になるだけでなく、ヨーロッパ領域外へのキリスト教布教の中心にもなりました。
ポルトガルが独占していた香辛料利権は、1580年、同国を併合したスペインに継承されることになり、スペインが衰退すると、少し遅れて絶対王政を確立・海外進出を開始したイギリスとオランダがインドへの影響力を強めていきました。とりわけ17世紀以降、海上帝国として台頭してきたイギリスが東インド会社を介して支配を強化し、イギリス領インド帝国(1858年〜1947年)の建設を準備したのです。
ヨーロッパ諸国の進出により、インドの経済は大きく変動しました。ポルトガル人が到来する前、インドは既に豊かな香辛料貿易の中心地でありましたが、ポルトガル人がその貿易路を掌握することで、インドの経済構造が変化しました。特に香辛料の取引において、インドの地元商人はヨーロッパ勢力との競争に直面し、利益の一部を失うことになりました。これにより、地域経済に大きな影響が及び、インドの商業活動はヨーロッパの需要に大きく依存するようになりました。
ヨーロッパの進出は、インドの文化と社会にも大きな変化をもたらしました。キリスト教の布教活動を通じて、西洋の思想や技術がインドに流入し、一部の地域ではキリスト教徒のコミュニティが形成されました。また、ヨーロッパの商人や宣教師との交流を通じて、インドの知識人や技術者たちは西洋の科学技術や学問を学び、これがインドの社会に新しい視点をもたらしました。
新大陸アメリカを「発見」したことで有名なクリストファー・コロンブスですが、彼自身は死ぬまで自分が「発見」した土地はインドであると信じていました。コロンブスは地球が球体であることを支持しており、西に向かって航海すれば東方、すなわちアジアのインドに到達できると考えていました。1492年、彼はスペイン女王イザベル1世の支援を受けて大西洋を横断し、カリブ海の島々に到達しました。
到達した土地をインドだと信じ込んでいたコロンブスは、現地の住民を「インディオ」と呼びました。実際には、彼が到達したのは南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海の諸島であり、インドとは全く異なる地域でした。しかし、コロンブスの誤認識により、この地域は「西インド諸島」と名付けられました。彼の発見は、ヨーロッパの地理的認識を大きく変え、新たな大陸の存在を知らしめることになりました。
ヨーロッパ列強の進出により、インドは長い間植民地支配に苦しむことになりましたが、19世紀末から20世紀初頭にかけて、独立運動が活発化しました。大航海時代に始まるヨーロッパの影響力は、インドのナショナリズムの目覚めにも寄与しました。特に、教育を受けたインド人エリート層が西洋の思想や民主主義の概念を取り入れ、これが独立運動の原動力となりました。
大航海時代は、インドにとって経済的、文化的、社会的に多大な影響を与えました。ヨーロッパ列強の進出と支配は、インドの歴史に深く刻まれ、その後の独立運動や現代のインドの発展にも影響を及ぼしています。インドの豊かな文化遺産と独自の歴史は、大航海時代の経験を通じてさらに多様化し、強化されました。
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