エミリア=ロマーニャ州

エミリア=ロマーニャ州(伊:Emilia-Romagna)は、イタリア北東部に位置する州です。中世の面影の強い優雅な都市景観で知られる、ボローニャを州都に持ちます。この地方は肥沃な農耕地帯が広がり国内で最も食料生産がさかんなことから、「イタリアの台所」「食の宝庫」などとも呼ばれています。その他、自動車を始めとした工業もさかんで、フェラーリやランボルギーニといった、世界的企業の本社が存在します。

 

このページの内容
  1. 歴史

 

歴史

古代

現在のエミリア・ロマーニャ州にあたる地域には、古代ローマに征服される前、エトルリア人やガリア人が居住していました。そのため、エミリア・ロマーニャ州のいくつかの都市は、ローマ台頭以前に建設された集落に起源を持っています。古代ローマ時代、ローマ人からは、ロンバルディアやピエモンテなど北イタリアの他の地方と一括りに「アルプスよりこちら側のガリア」という意味で「ガリア・キサルピナ(ラテン語:Gallia Cisalpina)」と呼ばれていました。前3世紀から前2世紀にかけローマ支配が浸透していき、フラミニア街道・アエミリア街道などのインフラが整備され、ローマ〜ポー平原間の道が開かれています。ローマ時代には他にも、ボローニャ、モデナ、レッジョ・エミリア、パルマといった、現在にも続く古都が次々建設されています。

 

中世

5世紀には、ゲルマン民族の侵入により、西ローマ帝国は崩壊。以後この地方は、ランゴバルド王国が台頭する6世紀末まで、ラヴェンナ総督府を通じ、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の支配下にありました。そして8世紀にフランク王国がランゴバルド国を滅ぼすと、エミリア・ロマーニャの大部分は教皇に献上され、16世紀までにほぼ全域が教皇領となりました。

 

近代

18世紀末、フランスのナポレオンに占領され、一時的にフランスの支配下に置かれるも、ナポレオン失脚後は、ウィーン会議の決定で教皇領のもとに返還されました。その後は19世紀後半にサルデーニャ王国主導で「イタリア統一」がなされ、イタリアが成立すると、エミリア・ロマーニャも同国の一地方におさまり、現在に到ります。

 

 
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