オスマン帝国とトルコの違いは?

 

もともとオスマン帝国のことを「トルコ」と呼んでいたのは、オスマン帝国はトルコ人の帝国であると考えていたヨーロッパ列強の人々です。しかしオスマン帝国時代、特にその最盛期の16世紀頃、オスマン帝国国民自身は「自分たちはトルコ人だ」という自負を持ってはいませんでした。

 

確かにオスマン帝国を建国したのはトルコ人の祖先にあたるテュルク人でしたが、他民族を受け入れながら発展していく中で混血も進み、支配者層の中にも様々な民族の血が流れていました。

 

つまり厳密には「トルコ人の国」とはいえないため、最近の歴史の教科書などでは、「トルコ帝国」や「トルコ」という表記の代わりに、「オスマン帝国」という表記が用いられるようになっています。

 

「トルコ」の成立

「トルコ人」としての自覚を持つ人々が現れ始めたのは19世紀以降で、オスマン帝国内で民族主義が高まり、いくつもの民族が帝国から独立していった時でした。

 

そして1923年のトルコ共和国の設立において中心的な役割を果たし、トルコ革命を推し進めた政治的リーダーのムスタファ・ケマルは、「自分はトルコ人である」という自覚を持つ民族主義を中心に置いた国づくりを行いました。

 

この国づくりで重視されたのは、先祖の血筋で決まる遺伝子的な民族ではなく、「自分で自分のことを何人だと思っているか」ということです。この時に「トルコ人」の定義が明確に示されることとなり、同時に非トルコ人の自覚を持つ人々との間に複雑な問題を引き起こして、今日に至っています。