金印勅書

金印勅書とは

金印勅書は1356年、神聖ローマ帝国で皇帝選出方法を定めた基本法である。選挙権を持つ七選帝侯の地位や権限が明文化された重要な憲章であった。本ページでは、このあたりの歴史的背景と後世への影響について詳しく掘り下げていく。

金印勅書


金印勅書とは、神聖ローマ皇帝の戴冠を巡る混乱に、制度という名の秩序を与えようとした書である。 それは選挙による皇帝を固定し、帝国の多元性を制度化した。


─ 歴史家・パウル・クライシュ『神聖ローマ帝国の構造』(1911)


金印勅書は、神聖ローマ帝国において定められていた、皇帝選出の原則を記した最高法規のことです。大空位時代以後の皇帝選出をめぐる混乱に終止符を打つべく、1356年、神聖ローマ皇帝カール4世によりニュルンベルク帝国議会にて発布されました。この金印勅書により初めて慣習法が成文化され、皇帝選出権が7人の諸侯(選帝侯)に限定されたのです。名前は文書の印章に黄金を使っていたことから。


以下でそんな金印勅書について、さらに掘り下げて解説していきます!



金印勅書の目的

初期新高ドイツ語で書かれた金印勅書の揺籃印刷本


金印勅書の目的は、大空位時代以来の皇帝選出をめぐる混乱に終止符を打つためです。


叙任権闘争以後、長らく神聖ローマ帝国では皇帝と諸侯の勢力範囲をめぐる鍔迫り合いが続いており、極めつけはなぜかドイツ(神聖ローマ)皇帝にドイツ人以外が選ばれたり、皇帝が2人以上並立(二重選挙)したりといった政治的混乱状態(大空位時代)が常態化していました。


選帝侯はできるだけ自分に都合の良い皇帝を擁立したいのですが、利害の衝突でなかなか皆が納得する皇帝が出てこなかったのです。そんな状態が続くと当然皇帝の存在意義も薄れ、帝国の力も弱体化していくものですから、大空位時代の再来を防ぐべく、皇帝カール4世は金印勅書を発布し、権威を安定させることで、帝国の再建を画策したのです。


金印勅書の内容

金印勅書を発布したカール4世


  • 皇帝選挙権を持つ選帝侯は7人とし、選挙は多数決により決定される。
  • 選帝侯は諸侯の最上位を占める。
  • 選挙はフランクフルト、戴冠式はアーヘンで行う。
  • 選帝侯には最高裁判権/鉱山採掘権/ユダヤ人保護権/貨幣鋳造権/関税徴収権などの特権が付与される。
  • 選帝侯の領地は長子相続で、分割相続は禁止。
  • 都市域拡張の禁止。
  • 私闘の禁止。
  • 平和目的以外の、封土保持者間および都市間の同盟禁止。


金印勅書の影響

金印勅書により、二重選挙や大空位時代の再来の可能性を潰し、神聖ローマ長年の問題であった政治的混乱は解決されました。その一方で、選帝侯となった諸侯にはさらなる権限が与えられたため、ドイツは各領邦が主権国家のようになり、分立体制の強化により政治的統一が大幅に遅れる原因にもなりました。


1806年、神聖ローマ帝国の消滅とともに勅書は効力を失い、ドイツはようやく統一に向けて動き出すのですが、ここでもまたプロイセンとオーストリアなどドイツ国家同士の主導権争いが起こるなど、勅書による分権化の影響は根強く残ったのでした。


以上、金印勅書についての解説でした!


ざっくりと振り返れば


  • 金印勅書は、神聖ローマ帝国の皇帝選出を安定させるため、カール4世によって発布された最高法規
  • 選帝侯の数を7人に限定し、選挙を通じて皇帝を選ぶ制度を確立した
  • その後、選帝侯に多くの特権を与えることにより、ドイツ内の分権化が進み、統一の遅れを招いた


・・・という具合にまとめられるでしょう。


ようは「金印勅書は、神聖ローマ帝国の皇帝選出の混乱を解決したが、分権化を促進し、後のドイツ統一に影響を与えた。」という点を抑えておきましょう!以下で金印勅書に関するQ&Aをまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。