三頭政治

第一回三頭政治のメンバー(左からポンペイウス、カエサル、クラッスス)

 

三頭政治は共和政ローマにおいて採用された、3人の有力政治家による政権運営のことです。カエサルポンペイウスクラッススによる第1回三頭政治(前60年〜前53年)と、オクタウィアヌス・アントニウスレピドゥスによる第2回三頭政治(前43年〜前36年)が存在します。

 

 

 

三頭政治はなぜ行われたのか

第一回三頭政治

紀元前60年、閥族派の元老院に対抗するため、カエサル、ポンペイウス、クラッススの3名民衆派議員により「密約」として結成。三者が互いの利害に反することを行わないことを約束した上で、改革のために権力を行使した。クラッススがパルティア遠征に際し戦死したことで消滅した。

 

第二階三頭政治

カエサル暗殺後の前43年、元老院の勢力に対抗するべく、アントニウス、レピドゥス、そしてカエサルの養子オクタウィアヌスによって公に結成。前36年レピドゥスの失脚により消滅した。

 

三頭政治のメンバーは誰か

第一回三頭政治

カエサル

ガリア戦争でガリアをローマの勢力圏に組み込んだ名将。クラッススが死に三頭政治が消滅した後、ポンペイウスとの抗争に打ち勝ち、独裁的な権力を樹立した。

 

ポンペイウス

地中海海賊の掃討、オリエント平定など、カエサルに負けず劣らずな戦功を誇る名将。三頭政治消滅後、元老院派としてカエサルと争うも敗れ、逃亡先のエジプトにて暗殺される。

 

クラッスス

ローマ屈指の財力を誇る富豪で、三頭政治を財政面で支えた。戦功を立てようとパルティア遠征を敢行し、敗死。クラッススの死により三頭政治は消滅した。

第二階三頭政治

オクタウィアヌス

カエサルの養子であり、後の初代皇帝アウグストゥス。レピドゥス失脚後、第2回三頭政治が解体されると、クレオパトラと組んだアントニウスと戦い勝利。独裁体制を樹立し、皇帝アウグストゥスとしてローマ帝政を創始した。

 

アントニウス

カエサルの部将として活躍していた。三頭政治では東方属州を支配することとなり、エジプトに拠点を置く中で、クレオパトラと愛人関係になる。それに不信感を強めたオクタウィアヌスと対立し、アクティウムの海戦で敗北。失意の中で自殺した。

 

レピドゥス

カエサルの部将として活躍していた。三頭政治では最も存在感がなく、早々に失脚させられたが、平和な余生を過ごし、内乱の一世紀に生きた有力者の中では、自然死を遂げることができた数少ない人物の1人であった。