
ヨーロッパは歴史的に「人の移動の交差点」でした。古代ローマ帝国時代の移民から、近代の植民地支配、そして現代の難民問題に至るまで、各時代で異なる移民政策が展開されてきました。この記事では、ヨーロッパにおける移民政策の歴史的な変遷とその意味を整理してみたいと思います。
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ヨーロッパにおける人の移動は古代から存在しており、その後の移民政策の基盤を形作りました。
ローマ帝国は、属州から多くの人々を移住させる一方で、ゲルマン人などの「異民族」を傭兵として受け入れました。帝国内での移動は自由で、多民族国家的な性格を持っていました。
中世ヨーロッパでは、ユダヤ人や商人、職人たちが各地を移動し、都市の経済活動を支えました。しかし同時に迫害や追放も繰り返され、移民に対する政策は一様ではありませんでした。
19世紀になると、イギリスやフランスなどの植民地帝国が拡大し、アフリカやアジアからの労働者が本国に渡るようになります。工業化に伴い、国内外からの労働力需要が高まりました。
20世紀は、世界大戦と経済復興が移民政策を大きく左右しました。
第一次世界大戦後は復興に必要な労働力を確保するため、東欧や植民地からの移民が増加しました。しかし大恐慌の影響で失業率が上がると、移民制限が強化されました。
第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国は復興のために「ゲストワーカー制度」を導入しました。西ドイツではトルコから、フランスやイギリスでは旧植民地から大量の労働者が流入し、多文化社会の基盤が築かれました。
東欧は社会主義体制下で移民が制限されましたが、亡命や亡命希望者の流れは続きました。西欧は逆に労働移民を受け入れる方向に進み、地域によって移民政策は大きく異なりました。
21世紀のヨーロッパは、グローバル化や難民問題を背景に移民政策が大きな課題となっています。
シェンゲン協定によってEU域内では人の自由な移動が保障されました。その結果、東欧諸国から西欧への労働移動が活発になりました。
2015年のシリア内戦を契機に、難民が大量にヨーロッパへ流入しました。ドイツは積極的に受け入れましたが、東欧諸国を中心に反発も強まり、EU内で亀裂が生じました。
近年は、イスラム系移民やアフリカからの移住者をめぐり、同化政策か多文化主義かをめぐる議論が続いています。「労働力の確保」と「社会的統合」のバランスが最大の課題となっています。
この記事では、ヨーロッパにおける移民政策の歴史を古代から現代までご紹介いたしました。ヨーロッパの移民政策は、労働力の確保、戦争や難民問題、そして多文化共生の課題の間で常に揺れ動いてきたのです。その歴史を理解することは、現代のヨーロッパ社会を考える上で欠かせない視点といえるでしょう。