植民地主義とは、植民地の獲得と拡大、そしてその維持と経営を推し進める対外政策、もしくはそれを正当化する思想のことです。大航海時代以降、主にヨーロッパの列強諸国によって推進されました。
19世紀後半からアジア各地へ、少し遅れてアフリカへの進出も開始し、第一次大戦前の20世紀初頭には世界中のほとんどの地域がヨーロッパの植民地となったのです。(世界分割)
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植民地にも自民族の移住を目的とするものと、征服地を政治的・経済的に支配しようとするものがありますが、後者はとりわけ近代以降の資本主義社会の確立で加速していきました。
西ヨーロッパ諸国は、産業革命を遂げたことで生産規模を質量ともに飛躍に伸ばし、安い労働力や原料・市場を求めて、今まで以上に海外進出を推し進めるようになるのです。「帝国主義」とも呼ばれる列強による植民地獲得競争が始まりました。
産業革命期のドイツ・ザクセンの機械工場。生産規模の拡大にともない、原料・市場拡大のために植民地獲得競争も加速した。
最も広大な植民地帝国を築きあげたのはイギリス(大英帝国)で、最盛期には世界の陸地の4分の1をも支配下におさめ、イギリス一国により世界の秩序が保たれると言われるほどでした。(⇒パックス=ロマーナ)
植民地主義というのは、征服地の先住民から搾取・収奪し、本国の利益を追及しようとする思想です。軍事的・経済的圧力をかけ独立国から主権を奪い、苛烈な強制労働や人種差別をともなう圧政を敷くことが常態化していましたが、「野蛮で劣った未開の地」を文明化する正当な行為と考えられていたのです。
アフリカの植民地政策を推し進めたセシル・ローズ(1853 - 1902)に対する風刺画
ヨーロッパ諸国による圧政は、やがて植民地住民の反乱を呼び起こしますが、植民地獲得競争が加熱する中、他国に遅れをとるわけにもいかず、各国はこうした反乱を武力をもって鎮圧していました。これががさらに植民地人の怒りを買い、のちの起こる数々の独立戦争の引き金になっていくのです。
そしてヨーロッパ諸国同士も、植民地覇権をめぐる戦争に傾倒し、それはやがて20世紀に起こる世界規模の二つの大戦の引き金になってしまうのです。
植民地主義に対する問題提起は、第二次世界大戦を経た20世紀中頃になってようやく出てきました。第15回国連総会で「植民地諸国・諸民族に対する独立付与に関する宣言」が採択され、
「外国による人民の征服、支配および搾取は、基本的人権の否認である」
として植民地主義が明確に否定されたのです。
人道的に問題視され始めたというだけではなく、二度の大戦を経て憔悴しきったヨーロッパには、もはや植民地を維持するだけの体力はなかったというのも、脱植民地主義に拍車をかけました。
植民地主義に対する批判の高まりと、ヨーロッパの没落が重なり、アジアやアフリカのヨーロッパ植民地国は次々と独立を遂げていったのです。
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