ヨーロッパの城

ヨーロッパの城とは

ヨーロッパにおける城とは、主に中世に築かれた防衛と権力の象徴である。領主や貴族が軍事拠点・居住空間として用い、厚い石壁、塔、堀などを備えた。時代が下るにつれ、要塞から宮殿的性格へと変化していった。本ページでは、このあたりの事情や背景について詳しく掘り下げていく。

「城」からヨーロッパ史を紐解こう


城とは 力が石に姿を変えたものであり
恐れと誇りが交差する 時代の記憶である


─ 建築史家・ユベール・ウィレモン(1887 - 1964)


高くそびえる石の塔、堀に囲まれた門、迷路のような通路──ヨーロッパの城と聞くと、そんな中世のイメージが浮かびますよね。でも実は、城というのは「戦いの道具」でもあり、「支配の象徴」でもあり、「暮らしの場」でもあったんです。その形や役割がどんなふうに変化してきたのかをたどれば、ヨーロッパの政治・戦争・社会のあり方までも見えてきます。この記事では「城」という存在から、ヨーロッパ史の奥深さをひもといていきましょう。



ヨーロッパの城の特徴

ヨーロッパの城には、地域や時代によってさまざまな違いがありますが、いくつかの共通した基本構造があります。それぞれにどんな意味があったのか、順に見ていきましょう。


石造の高い塔

天守に相当する「ドンジョン」(keep)は、城の中で最も防御力の高い要塞部分。高くそびえる石造の塔は、敵を監視するだけでなく、最後の籠城拠点として機能しました。また、見た目にも「私は強いぞ」と権威を示す視覚的な効果がありました。


堀・壁・城門

外敵の侵入を防ぐための堀や城壁、門の構造も城には欠かせません。吊り橋、落とし格子、殺人孔(マーダーホール)など、攻撃を防ぐための工夫が凝らされており、まるで生きた軍事マシンのよう。とにかく「攻めづらい」ことが最優先だったのです。


カルカソンヌ城塞の遠景(城壁と塔)

厚い城壁で囲まれたカルカソンヌ城塞(フランス)
フランス南部に位置し、二重の城壁と多数の塔を備えた中世要塞で、現在も保存状態が良い。

出典:Kups(著作権者)/ Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported(画像利用ライセンス)より


ヨーロッパの城の役割

ヨーロッパの城は、単なる“戦うための建物”ではありませんでした。むしろ、戦争以外の目的のほうが重要になっていく時代もあったんです。


防衛拠点

言うまでもなく防衛は城の基本中の基本。特に9~13世紀の封建社会においては、各地の領主が自分の土地と民を守るために築きました。外敵や略奪者、あるいは他の貴族との私闘に備えて、とにかく「守れること」が城の最大の機能だったんです。


ロンドン塔の空撮俯瞰

ロンドン塔の空撮写真
テムズ川沿いに築かれた要塞で、王宮や牢獄としても使われた、ロンドン防衛の要衝。

出典:Rafa Esteve(著作権者) / Creative Commons CC BY‑SA 3.0より


支配と権威の象徴

戦乱が落ち着き、国家がまとまりつつあると、城は領主の“見せ場”になっていきます。高さ・堅牢さ・美しさ──これらは単なる防衛手段ではなく、領主の権威や財力を示すための舞台装置だったんですね。後期には、居住性や贅沢さを優先した「宮殿のような城」も登場します。


ヨーロッパの城の歴史

ヨーロッパの城は、時代の変化にあわせて姿を変えていきました。その変化の裏には、政治の再編や戦争技術の進化など、歴史の大きな波があったのです。


封建社会と城の誕生

9世紀以降、ヨーロッパはノルマン人の侵入や内戦の影響で混乱していました。このとき地方を守るために各地で築かれたのが初期の木造の城(モット・アンド・ベーリー)です。土を盛った小山(モット)の上に塔を建て、その周囲を柵で囲み、簡易ながらも素早く築けるのが強みでした。


やがて石造りへと移行する中で、「城を持つ=支配者の証」となり、封建制度の要として城は定着していくのです。


Launceston Castle のモットとベーリー

モット・アンド・ベーリー構造のローンセストン城
イングランド南西部コーンウォールにある、ノルマン征服期の典型的なモット・アンド・ベーリー構造を持つ城。

出典:Chris Shaw / Creative Commons CC BY-SA 2.0より


百年戦争と城の進化

14~15世紀の百年戦争期には、フランスとイングランドの対立が長期化し、攻城戦のノウハウが発展。ここで登場するのが円形の塔、角の少ない壁、落とし格子付きの門など、攻めにくさを徹底追求した城たちです。


一方で火薬兵器の登場が、城の「終わりの始まり」ともなります。いくら石で固めても、大砲には敵わない──そう気づいた支配者たちは、城を単なる軍事施設ではなく、象徴的な建築へと“飼いならして”いくようになります。


カーン城のパノラマビュー

カーン城のパノラマ写真
堅牢な石壁と防御機構(バルバカン強化門、塔など)をもつ城塞で、百年戦争期の防衛拠点として重要な役割を果たした

出典:Urban / Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unportedより


ルネサンスと「住まう城」へ

戦争の激しさが落ち着いた16世紀以降、城はどんどん宮殿化していきます。ルネサンス文化の影響で、幾何学庭園や装飾豊かな内装が取り入れられ、戦うためではなく「楽しむ」「誇示する」ための場に。たとえばフランスのシャンボール城などは、もはや軍事性をほぼ持たない“貴族の遊び場”として設計されていたのです。


シャンボール城の正面と堀

シャンボール城
中世的な要塞建築を模してはいるが、実際には防衛目的を持たず、王フランソワ1世の狩猟館および権力誇示のために建てられたルネサンス様式の宮殿

出典:Calips / Creative Commons CC BY‑SA 3.0より


ヨーロッパの城って、「戦いの舞台」だったのはほんの一時期で、時代によってどんどん性格を変えていったんですね。その変化こそが、政治のあり方や人々の価値観の変化を映し出していたというわけです。