イスラム教徒によるスペインとポルトガルの征服は711年に始まり、その後イスラム政権はグラナダ王国の陥落する1492年まで存続する。それは実に781年間に及ぶ。グラナダ王国崩壊から今年2000年までの期間がまだ506年しか経っていないことを思うと、イベリア半島のイスラム時代の長さは「異常」であり、そこに「何か」を探りたい気持ちにかられる。
フィリップ・コンラ著『レコンキスタの歴史』序文より
レコンキスタとは、8世紀初頭から15世紀末にかけて、イスラム教徒に占領されたイベリア半島(現スペイン・ポルトガルの国土)の解放を目的として、キリスト教徒により展開された反イスラム抵抗運動のことです。
Reconquistaはスペイン語で「再征服」を意味し、日本語では国土回復運動、国土回復戦争とも呼ばれます。
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時代が中世に移ると、中東でイスラム教を柱とする広域国家が台頭します。8世紀初めには、北アフリカ経由でイベリア半島にまで勢力が及び、西ゴート王国を滅ぼしキリスト勢力を半島の北西隅にまで追いやってしまうのです。
しかしそのわずかな領域に逃げ込んだ西ゴート王国貴族により、国土奪回の抵抗運動、いわゆるレコンキスタが開始され、アストゥリアス、ナバラ、カタルーニャなどの小王国がその牙城として機能するようになります。
レコンキスタの戦いの一つ「オーリッケの戦い」を描いた絵。この戦いは伝説化されており、戦いの前に聖ヤコブが現れ勝利を約束したとされる。
西ゴート王国亡きあとイベリア半島に建設されたイスラーム国家は、先住のキリスト信者に対して改宗を強制したりせず、共生の姿勢を見せてはいました。しかしあくまでイスラーム教が国教の国なので、キリスト教徒には人頭税を課したりと、社会的差別は存在し、この不平等に対する不満はレコンキスタの原動力となったのです。
イスラム勢力進出の恩恵
イスラム教徒のヨーロッパ進出は、どうしてもキリスト教徒の視点からは「侵略」というネガティブな目線で語られがちですが、実はヨーロッパ全体の視点でみると以下のような恩恵ももたらされています。
こういった理由で、イスラム教徒のイベリア半島進出は、ヨーロッパの学問、文化、経済に大きな影響を与え、ヨーロッパにおける文化的多様性と知識の拡大という大きな恩恵ももたらしたのです。
11世紀前半になると後ウマイヤ朝の崩壊、カスティーリャ王国・アラゴン王国の台頭を受けてイスラム勢力の基盤が揺らぎます。同時にレコンキスタも勢いづき、12世紀にはトレド、サラゴサ、リスボン3都市の奪回に成功。キリスト教勢力が優位に立つようになります。
次いでイスラムの重要拠点コルドバ、セビリアも陥落するなど再征服の勢いは止まらず、13世紀後半イベリア半島に残るイスラム勢力は、半島南部のナスル朝グラナダ王国のみとなりました。
グラナダ陥落を描いた絵。右手前の女性はカスティーリャ女王イザベル1世
1479年には婚姻によりカスティーリャとアラゴンが統合してスペイン王国が成立。1492年スペイン王国はイスラーム最後の牙城グラナダを開城させるにいたり、800年にもおよぶレコンキスタを完了させたのです。
レコンキスタの完了は、中世イベリア半島史どころか、ヨーロッパ史、さらには世界史の大きな転機となりました。ポルトガル・スペインは奪回したイベリア半島を拠点に大西洋航路の開拓に乗り出し、大航海時代の先駆けとなりました。
イギリス、フランス、オランダなど他のヨーロッパ列強も続き、ヨーロッパの文化が世界中に拡散していく転機となったのです。この大航海時代の中で膨大な量の物や情報がヨーロッパになだれ込み、ルネサンス・科学革命・産業革命といった近代ヨーロッパ形成に欠かせない様々な革新を推進していくことになります。
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