ヨーロッパの国際関係史

ヨーロッパの外交・国際関係

外交(英:diplomacy)とは、国家と国家の間で行われる交渉および様々な政治活動のことで、対外政策や国家間の交渉、自国の国際関係など非常に広い意味で用いられています。そして「外交関係」は、異なる政治共同体同士が何か接点を持った時点で必然的に生じるゆえに、人間が集団(クニ、社会)を形成し始めた太古から存在する非常に古い歴史を持った概念です。ここでは特にヨーロッパに焦点を絞った外交史についてまとめています。

 

 

近代以前の欧州外交

宮廷外交の始まり

15世紀以降、絶対王政が成立すると、国王や貴族など特権階級が、宮廷に要人を招き入れて行う「もてなし」・・・つまり宮廷外交がヨーロッパの外交の基本形になりました。招かれた外交使節は王に気に入られ、自国王朝の益に繋げることを至上命題とし、買収なども当たり前に行われていたのです。

 

外務省の成立

17世紀、フランスが外交専門の組織いわゆる外務省を創設し、外交組織運用の先駆けとなりました。18世紀頃から20世紀半ば頃まではフランス語が第一の外交言語とされ、現在でも国際連合や欧州連合(EU)の公用語の一つになっているのには、こういった歴史的背景もあります。

 

国家間外交の開始

17世紀半ば、三十年戦争の講和条約ウェストファリア条約が締結されました。この条約が結ばれたウェストファリア公会議は「史上初の大国際会議」といわれ、ヨーロッパの主権国家体制を完成させたことから、今日の外交関係の基礎が固まりました。

 

宮廷外交の終焉

18世紀以降は王権の低下と共に宮廷外交も衰退に向かい、ナポレオン戦争オーストリアで開催されたウィーン会議(1814〜15年)を最後に行われなくなりました。その後の外交は、資本主義社会への移行とともに王朝的利害よりも商業的利害が重視されるようになり、「通商条約」というものが頻繁に締結されるようになります。

 

 

近代以降の欧州外交

職業外交官の登場

19世紀以降、市民社会への移行が始まると、外交は職業外交官が担うようになり、交渉能力はもちろんのこと、交渉相手国の情報を収集したり、それを正確に報告する能力が求められるようになりました。

 

秘密外交の開始と終焉

19世紀後半になると帝国主義列強同士で利害調整の密約が交わされるようになり、いわゆる秘密外交というものが横行するようになりました。しかしこれは国民の知らぬうちに少数者の益になるような決定があっさり通ってしまうことが問題となり、第一次大戦後には、「十四か条」で秘密外交の廃止と公開外交の推進を決定しています。さらにソ連が帝政ロシアが列強と交わしていた秘密条約の内容を暴露したことで、外交の秘密主義は姿を消したのです。

 

十四か条」で公開外交が始められる以前の外交を旧外交、始められた後の外交を新外交と呼びます。

 

多国間外交の始まり

第二次世界大戦後の世界の外交秩序は、国際連盟失敗の教訓を活かして創設された国際連合が担うようになり、現在会議外交の舞台にもなっています。また現代になり国際機関が多様化・急増したことで、外交は諸国間同士で行われるだけでなく、国際機構を通じても行われるようになり、いわゆる多国間外交が開始されたのです。