1848年革命

1848年革命

1848年革命(「諸国民の春」とも)とは、1848年、フランス二月革命を皮切りにヨーロッパ諸国で連鎖的に起こった、民族の自立と統一を求める運動のことです。春から秋にかけほとんどは鎮圧されて失敗に終わりますが、ウィーン体制の終焉を決定づけ、近代市民社会への転換を加速させる画期となりました。

 

 

1848年革命の別名

1848年革命の始まりである二月革命の後、ヨーロッパ各地にて、それまでウィーン体制下で抑えつけられていた民族独立運動が噴出しました。この自由主義・民族主義運動の高揚を指し「諸国民の春」と呼びます。この表現は、革命が始まった春の季節に由来し、また、革命の勢いが新たな希望と再生の季節である春に喩えられたためです。しかし、その多くは秋になる前には各国の反動派によって鎮圧されてしまったため、希望が短命であったことを示唆しています。

 

1848年革命の前史

ウィーン体制

ナポレオン戦争終結後、ウィーン体制と呼ばれる保守反動的な支配体制が開始され、フランス革命以降各国で発展した自由主義や民族主義は徹底的に抑圧されるようになりました。しかし、フランス革命戦争ナポレオン戦争を通じて、ヨーロッパの市民層には自由や平等といった理念が深く根付いていました。

 

経済不況

加えて、当時のヨーロッパは大規模な経済不況に見舞われ、多くの地域で飢饉が発生しました。これらの社会経済的圧力が積もりに積もって、従来の封建的な支配構造や抑圧的な政策に対する広範な不満が爆発し、1848年に一連の革命へと繋がったのです。これらの革命は、その後のヨーロッパの自由主義、民主主義、国民国家の発展に重要な影響を与え続けています。

 

 

各国の1848年革命

フランス

フランスの二月革命

 

48年2月、パリ民衆の反対運動によりルイ・フィリップの七月王政が倒され、フランス第二共和政が成立しました。この二月革命の影響が、翌月にはドイツイタリア・東欧諸国などヨーロッパ各地に飛び火していきます。

 

 

ドイツ連邦

ベルリンの三月革命

 

ウィーンで市民・学生が暴動を起こし、保守反動のウィーン体制を主導してきたメッテルニヒを国外亡命に追いやっています。プロイセンでもベルリンで市民・労働者による蜂起が起こり、軍隊と衝突する騒ぎになりました。ドイツ各地で起こったこれら市民革命を三月革命といい、5月にはフランクフルト国民議会でドイツ統一や全ドイツ憲法の制定が討議されるなどしましたが、最終的には鎮圧され失敗に終わっています。

 

イタリア

イタリアにおける「ミラノの5日間」

 

イタリアでは、オーストリアからの独立と民族の統一を求める運動(リソルジメント)がミラノヴェネツィアを中心に開始されました。最初は劣勢を強いられたものの、粘り強く闘争を続けた結果、1861年には統一国家樹立を実現しています。

 

 

東欧諸国

東欧諸国でも、オーストリアからの独立を求めるハンガリー革命に始まり、ボヘミア、ポーランドの激しい民族運動に繋がっていきました。ハンガリー・ボヘミアはオーストリアに、ポーランドはプロイセンにそれぞれ鎮圧されて終わりました。

 

1848年革命の影響

社会的・政治的変革の促進

1848年の革命はヨーロッパ各国で発生し、封建的な構造の打破と民主的な制度の導入を求めました。これは「諸国民の春」とも呼ばれ、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア帝国など広範囲にわたりました。これらの革命は、一部では短期間で鎮圧されたものの、選挙権の拡大、言論の自由、労働法の改善などの改革を引き出し、その後のリベラルな政治運動の基盤を築きました。

 

国民国家の形成への影響

革命はまた、国民国家形成の触媒となりました。特にドイツやイタリアでは、多くの小国や地域が統合を求める動きが顕著になりました。これらの地域での民族主義の高揚は、統一国家への道を加速させ、1871年のドイツ帝国成立や同年のイタリア王国の完成に大きな影響を与えました。

 

経済構造の変化と社会問題の顕在化

1848年の革命は、産業革命が進展する中で生じた経済的不平等と社会問題を表面化させました。都市化と工業化による労働者階級の増加とその劣悪な労働条件、そして経済危機による失業と貧困は、広範囲にわたる社会不安の原因となり、革命の直接的な引き金となりました。これにより、労働運動の組織化や社会福祉政策の導入が進みました。

 

1848年の革命はヨーロッパの歴史において重要な節点であり、社会的、政治的、経済的な多くの変革を促進しました。これらの革命は一時的には失敗に終わりましたが、長期的には自由主義的・民主的価値の普及、国民国家の形成、そして社会政策の発展に大きく寄与しました。これらの出来事は、その後のヨーロッパだけでなく、世界各国の政治動向にも影響を与え続けています。