科学革命とは、17世紀ヨーロッパで巻き起こった、自然科学の急速な発展のことです。「地動説」のガリレオ、「ケプラーの法則」のケプラー、「我思う、故に我在り」のデカルト、「万有引力」のアイザック・ニュートンなど、名だたる科学者がその担い手となり、近代科学の基礎を形成しました。
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科学革命が起こった後と前ではなにが違うのでしょうか。それまでも・・・それこそ古代ギリシアの時代から、世にある様々な自然物質・現象の相互の関連性を探求しようとする「自然科学」に近いものはあったのです。
しかしいずれも曖昧なものに留まり、確かに近代科学の萌芽は内包していたものの、せいぜいが宗教・神話的性格の強い「錬金術」や「占星術」止まりでした。時代が中世に移っても、キリスト教(神)を中心とする超自然的な枠組みの中に囚われたままだったのです。
ところが14世紀以降、その超自然的な枠組みが解体されていくのです。東西交易の繁栄、大航海時代、ルネサンス、宗教改革、国家間戦争、「17世紀の危機」といった社会現象・変化が、それまでの常識・概念を破壊する役割を果たし、人々の思索を深め、科学的な刷新を促していきました。
そんな中で、顕微鏡が16世紀末に、光学望遠鏡が17世紀初めに発明されたことで、宗教的視点を廃し、観察・観測・実験・測定から、普遍的な法則をたてようとする風潮が一気に広がり、「科学の時代」が本格的に開始されたのです。
科学革命に結びついた出来事
イタリア商業都市の東方貿易(レヴァント貿易)活発化にともない、東方オリエント世界から自然科学に関する豊富な知識、アラビア数字などがもたらされた。
ヨーロッパの活動領域が「地球規模」に拡大する大航海時代の幕開けにともない、ヨーロッパ域外から膨大な量の「知られざる世界」の情報が流入し、人々の意識に大きな変化をもたらした。
主権国家間の大規模戦争が頻発するようになり、より高性能な武器兵器が求められる中で、技術的刷新が加速した。
ルネサンス・宗教改革により、中世来盤石だったローマ教会を始めとする様々な伝統的権威が没落した。
17世紀に入り、ヨーロッパを不況・凶作・飢饉・疫病・戦争・暴動などが襲い、それにともなう社会不安が科学的刷新を促した。
17世紀「科学革命」の世紀に入り、天動説の放棄・地動説の確立をはじめとした天文学上の発見、万有引力の法則など力学上の発見など、科学的発見が相次ぎました。観察や実験に基づく科学的な思考の基盤が整い、近代科学の成立に繋がったことが最も大きな意義といえます。
そして科学革命は18世紀後半に始まる技術革新「産業革命」の原動力となり、その産業革命を原動力にヨーロッパは国際社会の主役に躍り出て、世界の政治や文化に多大な影響を与えていくことになるのです。
産業革命期における最大の発明・蒸気機関
バターフィールド(1900年〜1979年)によって「科学革命」という概念が提唱されるまで、中世と近代の区切りとされたのはルネサンスや宗教改革でした。しかし彼は、アジア諸国が隆盛し、相次いで独立していく当時(20世紀半ば以降)にして、これを近代の始まりとするのはヨーロッパ中心史観が過ぎると考えます。
そこで17世紀のコペルニクス、ガリレイ、ニュートンの台頭による近代科学の成立をもって近代を区切るべきと訴え、科学革命を『「近代世界」と「近代精神」の生みの親』と位置付けたのです。
コペルニクス(1473年 - 1543年)は、ポーランドの天文学者で、地動説で有名。従来の天動説を否定し、地動説を主張する「天球の回転について」を出版し、当時の天文学界・思想界に衝撃を与える。彼の科学的発見は後の科学革命の土台となった。
ケプラー(1571年 - 1630年)は、ドイツの天文学者で「ケプラーの法則」で有名。天体の運動を理論的に解明し、天体物理学者の先駆けとなった。
ガリレオ・ガリレイ(1564年 - 1642年)は、イタリアの天文学者で、落体の法則、慣性の法則で有名。宗教裁判にかけられ地動説の放棄を強制させられ、以後軟禁生活を送る。
アイザック・ニュートン(1643年 - 1727年)は、イングランドの物理学者で、「光のスペクトル」「万有引力」「微積分」の三大発見で有名。1668年に反射望遠鏡を発明したことで名声を得る。
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