ヨーロッパの国家

ヨーロッパの国家

国家とは、簡単にいえば一定の「領土」と「人民」を持つ政治組織、領土内の人民に対して一定の強制力を持つ「権力」のことです。この領域・人民・統治権の三要素を備え、統治権内の利害調整・社会秩序維持を行うのが、今日的な「国家」の役割です。

 

今日的な国家とは「国民国家(nation-state)」、つまり「“民族(nation)”が主導し成立した国家(state)」という意味で、現在南極以外の全ての陸地はいずれかの主権国家の統治下にあります。しかしそんな統治形態が生まれたのは近世以降のヨーロッパでのことで、実はそれ以前に私たちがイメージするような「国家」は存在しませんでした。今日の国民的アイデンティティ言語や文化というものは、国民国家の形成過程で、国旗国歌の制定や、言語や文字の標準化が行われた結果といえます。

 

 

古代の国家

集団(クニ)の成立

国家の起源は先史時代までさかのぼります。人間というのはそもそも身体的には脆弱な生き物で、強力な爪もなければ牙もありません。そのため太古の人類が、捕食動物から身を守ったり、協力して食料調達をするために形成した「集団(クニ)」が最も原始的な国家の形態といえます。

 

都市国家の成立

都市国家アテナイのアクロポリス

 

ヨーロッパでは紀元前8世紀頃になると都市国家(ポリス)と呼ばれる都市サイズの政治共同体がギリシアを中心に繁栄するようになります。このギリシアポリス社会は前5世紀に最盛期を迎え、この時期栄えた、政治・文学・哲学・芸術・科学など様々な文化が、のちのヨーロッパ文明の基礎となりました。

 

領域国家の成立

古代ローマの最大版図

 

やがて都市国家の中から、周囲の民族や都市国家を次々服属させ、広大な領域国家を形成する国家が現れます。前8世紀半ば、都市国家として成立した古代ローマはその最たる例です。同国は強大な軍事力を背景にみるみる領土を拡大し、前1世紀から1世紀にかけて地中海世界全域と西ヨーロッパの大部分を支配する大帝国を形成しています。このローマ帝国時代に、ラテン文字やキリスト教といったヨーロッパ文化の基礎的な要素が広く普及したことで、現在のヨーロッパ世界の原型が成立したのです。

 

 

中世の国家

封建国家の成立

フランス国王ジャン2世(君主)から叙任を受ける騎士(封建領主)

 

西ローマ帝国が崩壊し時代が中世に移ると、領域国家に代わり封建国家と呼ばれる、「封建的主従関係」の下で組織された国家が登場するようになります。「封建的主従関係」とは、簡単にいえば「WinWin」な関係のこと。つまり中世ヨーロッパというのは、ヨーロッパ各地の領主(諸侯)が、より強大な領土と軍事力を持つ領主(王、皇帝)に保護を求める見返りに、軍事力や税を支払う・・・という双務的な契約関係が社会の主流を占めた時代だったのです。

 

主権国家の成立

ヨーロッパの主権国家体制を完成させたウェストファリア条約の締結場面

 

百年戦争の終結頃(15世紀半ば)から、封建領主の没落により、王権が伸長し、絶対王政(主権国家体制の初期形態)への移行が開始されました。ヨーロッパにおける主権国家体制は、三十年戦争の講和条約ウェストファリア条約(1648年)の締結によって完成をみました。

 

近代の国家

国民国家の成立

国民国家社会へ移行するきっかけとなった二月革命(フランス)を描いた絵画

 

18世紀になると、絶対王政の衰退と自由主義・民族主義の高まりの中、ヨーロッパ全土で市民革命(イギリス革命フランス革命1848年革命など)が勃発するようになります。その結果、ヨーロッパでは民族が主導する国民国家というスタイルが主流になっていき、さらに19世紀後半に始まる帝国主義列強による世界分割と、第二次世界大戦後にヨーロッパの旧植民地が次々と独立していったことで、ヨーロッパ以外でも国民国家スタイルが主流になったのです。