大英帝国時代を象徴するヴィクトリア女王の戴冠式
大英帝国(イギリス帝国)とは、大航海時代以後の、イギリス本国と植民地を含めた全領域を指す呼び名です。19世紀後半から20世紀の前半にかけての最盛期には、世界のおよそ6分の1、南アメリカ・中国など「非公式の帝国」も含めればおよそ4分の1がイギリス王冠のもとに置かれていました。
今でこそアメリカ合衆国がその地位にいますが、かつてはイギリスの動向一つに世界の平和秩序が左右される「パックス・ブリタニカ(イギリスによる平和)」が体現されていた時代があったのです。
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大英帝国の形成は大航海時代の始まりとともに開始されますが、帝国の様態は一大植民地アメリカを手放す以前と以後で変化しており、それぞれイギリス第一帝国、イギリス第二帝国などと呼びます。
期間:17世紀〜18世紀
旧帝国(イギリス第一帝国)の形成は大航海時代以後、重商主義政策を基礎に開始されました。1707年スコットランドを併合し、本国はグレートブリテン王国となり、カリブ海地域(西インド諸島)と北アメリカ植民地を一大拠点として繁栄。1783年アメリカ13植民地の独立にともない崩壊しています。
期間:19世紀〜20世紀
旧帝国の崩壊にともない新帝国(イギリス第二帝国)の形成がスタートしました。アメリカが独立してしまったので、帝国の中心は<原料の一大産地および自国生産物の一大売却地>たるインドに移行しています。
アメリカを失った後でも、1801年アイルランド併合で、本国はグレートブリテン及びアイルランド連合王国へと進化し、産業革命にともなう圧倒的な工業生産力を背景に、植民地も含めた「大英帝国」の繁栄はなおも続いたのです。
初めての総力戦となった第一次世界大戦は、イギリスをかつてないほど消耗させ、大英帝国崩壊の原因となった。
第一次大戦後、植民地における独立志向の高まりを受け、ウェストミンスター憲章制定(1931年)で植民地の自治権が大幅に拡大。これでイギリス植民地は、植民地は植民地でも、自国のルールが征服地にそのまま適用される、いわゆる「従属国」ではなくなりました。
また南部アイルランドが独立したことで本国名称はグレートブリテン及び北アイルランド連合王国となり、植民地も含めた「イギリス帝国」という呼び名も「イギリス連邦」に改められました。
そして20世紀後半、第一次大戦・第二次大戦と二度の世界大戦を経て消耗しきったイギリスには、インド初め多くの植民地を維持する体力はもうなく、名実ともに「大英帝国」は崩壊するにいたったのです。
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