カルタゴの国章
カルタゴは、古代ローマ時代に北アフリカで栄えていた都市で、造船技術や航海技術に長けるフェニキア人により建設されました。海上貿易により前6世紀に黄金期を迎え、ポエニ戦争でローマに滅ぼされるまで、西地中海の覇者として君臨していました。正確には「ヨーロッパの国」ではなく、「アフリカの国」ですが、後世ヨーロッパの歴史に大きな影響を与えた存在ということで、当サイトでも詳しく扱っています。
カルタゴの拠点があった場所
かつてカルタゴが本拠を置いたのは、チュニス(現チュニジアの首都)の北東約16q、シチリア島と向かい合った、北アフリカ半島部にあたります。地中海のほぼ中央にあたること、水深が浅く錨を降ろしやすい自然の入江があることで、海上交易には絶好の環境で、カルタゴ繁栄の一因となりました。
紀元前550年頃〜紀元前530年頃に生きたとされる、カルタゴを建国した伝説上の女王です。東地中海沿岸の都市国家テュロス出身の元巫女で、内戦から逃れて旅を続ける中、チュニジアの地にたどり着き、ビュルサの丘に国を興したと伝えられています。
紀元前510年頃から紀元前480年にかけて在位していたマゴ朝の王です。シケリアとの戦争を起こすも第一次ヒメラの戦いで敗死し、カルタゴにおける貴族の没落、王権低下のきっかけを作りました。
紀元前406年 - 紀元前396年にかけて在位していたマゴ朝の王です。シケリア遠征で幾度も勝利を重ねるも、前397年におけるシラクサ包囲戦では、ペスト流行という不運に見舞われて敗北し、その責任をとらされ失脚した後、絶食により自殺しました。
ティルスの女王ディードーにより建国されたと伝えられる。
エトルリア人との同盟でギリシア人を破り、シチリア西半分の領有権を獲得。
ギリシアに支援されたシラクサ軍との戦い(ヒメラの戦い)が勃発する。カルタゴはこの戦いに敗れたことで、国力を大きく落とす結果となった。また国内では貴族制が打倒され、共和制に移行した。
シラクサに対する包囲戦を展開するも、シラクサの僭主アガトクレスに敗れた。
ローマとの1世紀にもわたるポエニ戦争の開始される。
ハンニバル率いるカルタゴ軍が、アルプスを越えてローマ領に侵入し、幾度にもわたりローマ軍を打ち破った。
ローマのスキピオが、カルタゴの名将ハンニバルを破る。
ポエニ戦争でローマに敗れて滅亡。
カエサルによりローマ属州アフリカの中心地として都市の再建が行われた。帝政期には大都市として繁栄。
|
|
|
|