中世イタリアは、大小さまざまな都市国家が存在し、それぞれが独自の力を持ち、互いに競争し合う複雑な時代でした。その中でも、ミラノ公国は、ヴィスコンティ家の下で強大な権力を築き上げました。ミラノ公国の成立とヴィスコンティ家の支配について見ていきましょう。ミラノ公国の成立ミラノ公国の成立は13世紀に遡りま...
ミラノ公国(伊:Ducato di Milano)は、14世紀から18世紀まで存在していたイタリアの国家です。ヴィスコンティ家の治世で最盛期を迎え、同家断絶後は、スフォルツァ家、フランス、スペイン、オーストリアと支配者が変わっていき、最後にはナポレオンに征服され滅亡しました。
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ミラノは11世紀以降、毛織物や武器製造を中心とした工業で発展。13世紀からヴィスコンティ家が都市を支配するようになり、1395年、同家のジャン・ガレアッツォが、神聖ローマ皇帝から「ミラノ公」の称号を受けたことで、ミラノ公国が成立しました。
ミラノ公国は、初代ミラノ公ジャン・ガレアッツォの治世で、ロンバルディア地方全域を支配する大国に成長。ルネサンス文化の中心地の一つにもなり、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作『最後の晩餐』を始めとする、数々の芸術作品が製作されています。
1402年、ジャン・ガレアッツォが死去すると、彼の息子は受け継いだ領土を維持することができず、1447年、スフォルツァ家に支配権を奪われています。さらにその後スペインやオーストリアによる支配を経て、1796年ナポレオンに征服されたことで滅亡しました。
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