ランゴバルド王国

ランゴバルド王国とは

ランゴバルド王国は6世紀後半にイタリア半島に建国されたゲルマン人の国家だ。北イタリアを中心に支配し、ローマ世界とゲルマン世界の接点となった。本ページでは、ランゴバルド王国の成立や支配構造、イタリア史での位置づけを理解する上で重要なこのテーマについて、より詳しく探っていこうと思う。

ランゴバルド王国


ランゴバルド王国は鉄の民が築いたが、その都は法と信仰によって息づいていた。


─ イタリア中世史家・カルロ・トローヤ(1784 - 1858)


ランゴバルド王国(伊:Regno longobardo)は、ランゴバルド族により建国され、6世紀から8世紀にかけ存続した王国です。現在のロンバルディア州を主な領土としたことから、ロンバルディア王国とも呼ばれます。成立以降、ランゴバルド族は独自の文化を捨て、急速にローマ化していきましたが、彼らがこの国に残した慣習法は後のイタリア政治にも大きな影響を与えています。


ランゴバルド王国の歴史

5世紀初め、エルベ川下流域に居住していたランゴバルド人が南下を開始。6世紀にはパンノニア(現在のハンガリー領域)を経て、イタリアのロンバルディア地方に侵入し、パヴィアを首都に、アルボインを王とするランゴバルド王国を成立させました。


繁栄と滅亡

ランゴバルド王国は、徐々に南方へと勢力を拡大し、イタリア中部にはスポレート公国(570~1198年)、南部にはベネヴェント公国(570~1077年)を成立させました。そしてアイストゥルフ王(在位:749~756年)の治世で、東ローマ帝国ラヴェンナをも併合することで最大版図を築き上げたのです。しかし8世紀以降、教皇領を支配下に組み込もうとしたことで、フランク王国との対立が激化。その結果、774年フランク王カール大帝にパヴィアを攻め落とされ、滅亡の運命を辿りました。