マケドニア王国

マケドニア王国は、古代において現在のマケドニア地方を中心に繁栄していたギリシャ系国家です。紀元前7世紀に古代ギリシア人により建国された王国で、フィリッポス2世(在位前359〜前336)の頃に、カイロネイアの戦い(前338年)でバルカン半島の覇権を確立しています。

 

その後継者アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)は、東方オリエント世界への大規模遠征を敢行し、ギリシャにとどまらず、小アジア、西北インドにまでいたる大帝国を建設。結果、ヨーロッパ文化の柱といえる、ギリシャ文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化の基礎を作ったという意味で、マケドニア王国というのはヨーロッパ史において非常に重要な存在です。

 

 

 

 

マケドニア王国の現在

アレクサンドロス大王の死後、マケドニア王国の領土継承権は複数の有力者たちにより争われ(ディアドコイ戦争)、最終的に王国の中心地であるマケドニア地方およびギリシャの覇権はアンティゴノス朝により確立されることとなりました。

 

しかししだいに西方から勢力を拡大してくるローマの影響を受けるようになり、第三次マケドニア戦争(前171〜前168年)でアンティゴノス朝が滅ぼされたことで、マケドニア王国の歴史は終焉をみたのです。

 

マケドニア王国を継ぐ国

ゆえに現在もうマケドニア王国は存在しないのですが、その継承者を名乗る国なら存在し、ギリシャ共和国北マケドニア共和国がそれにあたります。

 

とくに北マケドニアは1991年建国時は「マケドニア共和国」という明確にマケドニア王国の後継国を意識した国号を定めていたため、「自国こそがマケドニアである」と自負するギリシャは大反発し、経済制裁を発動するまでに至っています。

 

この国名めぐる問題は「マケドニア名称論争」と呼ばれ、2018年にマケドニアが北マケドニア共和国に国名を改名し和解が成立するまで、深刻な外交問題として両国間に横たわっていました。

 

 

 

マケドニア王国の国王

※歴代国王の中でも特に重要な人物を抜粋

 

カラノス

在位:前808年〜前778年
マケドニア王国の建国者で初代王。アルゲアデス朝の始祖。

 

ペルディッカス2世

在位:前448年〜前413年
ペロポネソス戦争の中、巧みな外交政策でマケドニアの勢力拡大に努める。

 

フィリッポス2世

在位:前382年〜前336年
カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破り、マケドニアのギリシアの覇権を確立。

 

アレクサンドロス3世

在位:前336年〜前323年
東方遠征の成功により、ギリシャにとどまらず、小アジア〜北西インドにまで至る広大なマケドニア版図を築き上げる。

 

アンティゴノス1世

在位:前306年〜前301年
アレクサンドロス大王の死後ディアドコイの1人としてアンティゴノス朝マケドニア王国を創始。

 

ペルセウス

在位:前179年〜前168年
マケドニア最後の王。ローマとの第三次マケドニア戦争に敗れ、廃位されると同時にマケドニア王国は滅亡した。