ローマ帝国

ローマ帝国


ローマ帝国は力で征服し、法で支配し、記憶によって永遠となった。


─ イギリスの歴史家・エドワード・ギボン(1737 - 1794)


ローマ帝国は、かつてイタリア半島を拠点にヨーロッパの広い領域を支配した古代の超大国です。紀元前8世紀の建国以降、軍事力を背景に勢力を拡大し、前3世紀にはイタリア半島を、前1世紀半ばには西ヨーロッパ全域を平定、同世紀末には地中海世界全域の統一を果たし、史上類を見ない大帝国を築き上げました。


帝国が覇権を握る時代は、4世紀後半に始まる「ゲルマン民族の大移動」で終わりを告げますが、ローマの持った言語や宗教、ローマの築いた法・軍事・インフラは、大移動後ローマ領内に定着したゲルマン人が継承していったため、ローマ帝国の存在は、そのまま現在に続くヨーロッパ世界の母体となりました。



ローマ帝国の場所

トラヤヌス帝(在位:98年~117年)の治世におけるローマ帝国の最大版図


ローマ帝国の歴史

建国~共和政以降

ローマの正式な国号は「元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)」といい、伝承では前753年、「狼に育てられた」とする双子の弟ロムルスによりパラティヌス丘を中心に建設されたのが始まりとされています。当初は王国として成立しましたが、前509年頃にエトルリアの王を追放して共和政に移行しました。


ローマの建国者ロムルスとレムスの銅像


イタリア統一~ガリア征服

共和政ローマはイタリア半島を統一(前260年頃)した後、ポエニ戦争カルタゴを滅亡させ(前146年)、地中海の覇権を握るようになります。


さらに前1世紀半ばには、ユリウス・カエサルガリア(おおむね現在のフランス)を征服。これで地中海沿岸地域に限定されていたラテン語を始めとしたローマ文化が西ヨーロッパの地にも広がっていき、現在のヨーロッパの原型が形作られました。


ガリア


帝政に移行~空前の繁栄

共和政も長く続くとしだいに腐敗し、前2世紀後半からは「内乱の1世紀」と呼ばれるローマ人同士が血を流して争う時代に突入します。そして内乱を終息させたオクタウィアヌス(アウグストゥスが絶大な権力を手にするようになり、ローマは帝政に移行していきました。


以後200年、ローマは「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる空前の繁栄と平和の時代を享受するのです。そして2世紀初め、トラヤヌス帝統治下で史上最大の版図となり、どんな辺境からもローマに人や物資を送り込むことができる、「すべての道はローマに通ず」を体現しました。


軍人皇帝時代~キリスト教の国教化

3世紀後半、帝国領各地に皇帝を僭称するものが現れるようになり、ローマは再び内乱の時代に突入してしまいます。(軍人皇帝時代


ディオクレティアヌス帝が内乱に終止符をうち、専制君主制(ドミナトゥス)のもと帝国再建を達成しますが、彼の死後再び混乱期に入り、4世紀末には、帝国領が西ローマ帝国東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂してしまいました。


現ヨーロッパ世界の基礎が完成

一方で帝国領が分裂する少し前、テオドシウス帝によりキリスト教がローマの国教とされたことで、言語(ラテン語)・文字(アルファベット)・宗教(キリスト教)などを共有する現在のヨーロッパ世界の基礎が完成していることは非常に重要です。



西ローマ帝国の滅亡~第二のローマ

帝国領の分裂からそう間もない476年、西ローマ皇帝がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより廃位に追い込まれ、西ヨーロッパの地からローマ帝国は消滅。この西ローマ帝国の滅亡をもって古代ヨーロッパ史は終焉、時代は中世に移っていきました。


帝冠をオドアケルに差し出す最後の西ローマ皇帝


一方東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の方はというと、中世以後もギリシアの先進文明やエジプトの豊かな穀倉地帯を背景に繁栄を続け、商業都市コンスタンティノープルを首都とする「第二のローマ」として、1453年オスマン帝国により攻め滅ぼされるまで存続しました。


ローマ帝国の影響

「ローマは一日にして成らず」「すべての道はローマに通ず」ということわざが生まれるほどに広大な領土を築き上げ、そこにローマ文化を定着させたことは、その後のヨーロッパ史の発展にとって計り知れない影響を与えました。


またそんな世界帝国の記憶は、国家として滅んだ後でも「ヨーロッパ統一」の理念として生き続けたのです。「第二のローマ」の継承者を意味する「第三のローマ」という概念が生まれた他、カール大帝による新生西ローマ帝国、オットー大帝による神聖ローマ帝国、ナポレオンによるナポレオン帝国など、後世ヨーロッパに創建される「超大国」の思想的基盤には必ず、かつてこの世界を統一に導いたローマ帝国の存在があります。



ローマ帝国の宗教

ローマ帝国で信仰されていた宗教は、多神教、皇帝崇拝、ユダヤ教、キリスト教などが挙げられます。


多神教

伝統的なローマ神話の神々(重要視されたのはユピテルを最高神とする「ディー・コンセンテス」)を崇拝する宗教で、ローマ各地には神々を崇拝する神殿が建てられていました。ローマの人々は神殿で神々に祈りを捧げ、捧げものをしたり、動物の生贄を捧げたりして、平和や豊穣、商業の繁栄を願っていました。


皇帝崇拝

ローマ皇帝を現人神として崇める宗教で、帝権強化・帝国維持のために、上から押し付けられる形で布教が行われました。ユダヤ教やキリスト教の信者は皇帝崇拝を拒否したため、弾圧の対象でした。


ユダヤ教

パレスチナを発祥とする宗教で、パレスチナは前1世紀にローマ属州となっています。ローマはパレスチナを完全にローマ化してしまうことはなく、ユダヤ教の信仰はそのまま認めていました。


キリスト教

パレスチナがローマ属州となって以降、ユダヤ人は自分たちに課せられる重税に不満を抱くようになりました。そんな時期に誕生したのがイエスであり、ユダヤ教の刷新を民衆に呼びかけましたが、ローマ総督がそれを反ローマに結びつく反逆行為として、イエスを処刑してしまいます。その後使徒たちに広められたイエス・キリストの人格と教えをもとに成立したのがキリスト教です。


キリスト教ははじめ弾圧の対象でしたが、しだいに信者を増やしていき、その存在を無視できないと判断したローマは、313年ミラノ勅令によりキリスト教を公認します。さらにテオドシウス1世は392年にキリスト教を国教とし、それ以外の宗教を異教として禁じました。