
ローリーズ ・ア・カストロ画『アクティウム海戦』(1672年)
アクティウムの海戦は、紀元前31年、オクタウィアヌスとアントニウスが地中海の覇権をめぐり争った古代ローマの戦いです。エジプト王朝が反オクタウィアヌスとして介入する大規模な戦いになりましたが、最終的にはオクタウィアヌスが勝利し、100年以上続いた内乱の一世紀にも終止符が打たれました。
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オクタウィアヌス派とプトレマイオス朝およびアントニウス派連合軍が衝突たのは、シチリア島・イタリア半島南部・ギリシアに囲まれたイオニア海のアクティウム沖になります。
ナウロクス沖の海戦で反カエサル派は一掃され、ローマ内戦は第二回三頭政治の有力政治家による政争という段階に移行しました。その中でまずレピドゥスが失脚すると、ローマ東方を支配していたアントニウスと、ローマ西方を支配していたオクタウィアヌスの対立という最終局面に移行したのです。
アントニウスはオクタウィアヌス打倒のため、プトレマイオス朝エジプトのクレオパトラ7世と手を結びます。しかしエジプトの支援をとりつける代わりに、クレオパトラとその子にエジプト、アナトリアなどローマ領東方の支配権をゆだねると約束したため、オクタウィアヌスがクレオパトラに宣戦布告したことで、戦いの火蓋が切られたのです。
両軍の戦力はほぼ互角でしたが、まずクレオパトラの艦隊が状況不利とみて戦線を離れ、アントニウスもこれを追って退却したため、指導者を失ったアントニウス軍は総崩れとなり降伏を余儀なくされました。この戦いの勝利でオクタウィアヌスの対抗勢力はほぼ駆逐され、地中海世界は統一、100年近く続いた「内乱の一世紀」にも終止符が打たれたのです。
アクティウムの海戦での勝利は、オクタウィアヌス(後のアウグストゥス)がローマの覇権を完全に掌握する決定的な出来事となりました。この戦いを通じて、アントニウスとクレオパトラ7世が破れたことで、エジプト王朝は滅亡し、エジプトはローマ帝国の属州として編入されます。この征服により、ローマは豊富な穀物供給を確保し、経済的な安定をもたらしました。
また、この戦いの後、オクタウィアヌスはローマ元老院から「アウグストゥス」の称号を授けられ、事実上ローマ帝国初代皇帝としての地位を築きます。これにより、共和政から帝政への転換が完成し、ローマは内乱の時代から安定期である「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」に突入します。
さらに、アントニウスとクレオパトラの破滅は、ローマにおける東方支配を強固なものにしました。東方の豊かな資源や貿易ルートが統一されたローマの支配下に入り、地中海世界の経済的結びつきがより一層強化されたのです。
アクティウムの海戦はローマ帝国の成立と、地中海世界の統一に大きく貢献した、歴史的な転換点だったのです。
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