アクアエ・セクスティアエの戦いにて撤退するテウトニ軍
アクアエ・セクスティアエの戦いはキンブリ・テウトニ戦争の戦いの1つで、紀元前102年アクアエ・セクスティアエにて、共和政ローマとテウトニ人との間に起こった武力衝突です。北方から侵入してくるキンブリ人に対し、ノレイアの戦い(112年)、アラウシオの戦い(前105年)と連敗を重ね「キンブリの恐怖」ともいわれる社会混乱に陥っていたローマですが、この戦いでようやく勝利を収め、優勢に転じることができました。
スカンディナヴィア周辺から南下を始め、地中海世界のローマ勢力圏を脅かしていたキンブリ人・テウトニ人ですが、途中で二手に分かれ、ガリアを目指したキンブリ人に対し、テウトニ人はさらに南下、ローマ領アクアエ・セクスティアエと侵入してきました。ここでテウトニ人とローマ軍が衝突し起こったのがこの戦いです。
ノレイアの戦い、アラウシオの戦いでの連敗の反省から、ローマは軍制改革(マリウスの軍制改革)と再訓練を行い、再度の侵攻に備えていました。そしてそのかいあり、前102年アクアエ・セクスティアエにて、執政官ガイウス・マリウスが率いるローマ軍は、堅実な守りと巧みな戦略により、侵入してきたテウトニ軍勢を殲滅することに成功したのです。
この戦いの結果、10万人のテウトニ族が死亡し、生き残った者は奴隷にされ、最終的にテウトニ族は滅亡の道を辿りました。テウトニ族の王テウトボドはローマの捕虜となり、マリウスの凱旋式の余興として処刑されています。
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