イタリア戦争の戦いの一つパヴィアの戦い
イタリア戦争(イタリア語: Guerre d’Italia)は、ヨーロッパの強国がイタリアの支配権をめぐり争った50年以上(1494年〜1559年)にわたる戦争です。1494年の第一次イタリア戦争の勃発に始まり、1559年のカトー・カンブレジ条約の締結で終結しました。なおこの間ずっと戦い続けていたわけではなく、一時の休戦を挟み大きく第一期と第二期に分けられます。
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第一期は、フランス王シャルル8世がナポリの王位継承を主張しイタリアに侵攻したことから開始されましたが、カンブレー同盟戦争の終結によりイタリア半島につかの間の平和が訪れています。
第一期の主な戦争
第二期は、皇帝選挙でカール5世に敗れたフランス王フランソワ1世が、懲りず皇帝となる野心を燃やしたことに端を発します。30年以上の激戦を経て、カトー・カンブレジ条約でフランスがイタリアへの領土的野心を放棄したことをもって終結。
第二期の主な戦争
15世紀末から続いたイタリア戦争は神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)、フランス王国(ヴァロワ家)両国の財政を圧迫し、16世紀後半に差し掛かる頃には両国とも戦争継続が困難な状態になっていました。また当時は宗教改革の真っただ中で、内部の宗教紛争にも対処しなければならず、対外戦争に割く余裕がなくなってきたというのも大きいです。
そのような情勢を受けて、1559年にはカトー=カンブレジ条約で講和が成立し、戦争は終結しました。この条約により神聖ローマ帝国はミラノ・ナポリ・シチリア・サルデーニャ・トスカーナ西海岸などの支配権を手に入れ、フランスはイタリアの権益放棄を余儀なくされた一方で、長らくイギリスに占領されていたカレーの領有が正式に認められました。
長引く戦争の中で、戦争の主体が騎士から銃火器を持った歩兵に変わり、傭兵への依存度増大、軍事技術や戦術の面で大きな変化が見られました。またフランス、スペインでは戦争の過程で国民意識が形成され、主権国家体制の構築が進むなど、政治形態にも変容が起こっています。そのためイタリア戦争を中世と近世の転換期とみる歴史家もいます。
またイタリア戦争はルネサンスの時期と重なりますが、神聖ローマ帝国とフランス王国の覇権争いに巻き込まれたイタリア都市国家は衰退し、イタリア・ルネサンスも大きな打撃を受けています。
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