フロンドの乱

フロンドの乱

フロンドの乱の中で起きた、バスティーユ城壁下での戦闘

 

フロンドの乱(1648〜1653年)とは、太陽王ルイ14世が幼少の頃に起こった、貴族と民衆による反王政運動です。ルイ14世の摂政・マゼランによる中央集権化政策への不満が高まる中、三十年戦争の軍費を賄うため増税を強行したことが直接のきっかけとなりました。反乱は新旧貴族が主導し、パリを中心に全国的に展開。一時的に共和政府を樹立するなど一定の成果を出しましたが、最終的には内部分裂で瓦解し、鎮圧されました。結果的にこの反乱で王権はますます強化され、中央集権化も進み、フランス絶対王政は確立されることとなったのです。

 

「フロイド」の意味

 

フロイドの乱のフロイドFrondeとは、当時流行っていた投石玩具の意です。マゼラン邸にパリの民衆がフロイドを使って投石したことから、このように呼ばれるようになりました。