絶対王政(absolutism)とは、国王に権力が一極集中する政治体制のことで、一般的には16〜18世紀の西ヨーロッパに現れたものを指します。16世紀にはスペイン、17世紀にはオランダ、イギリス、フランスなどの絶対王政国家が台頭したことで、ヨーロッパ封建制は終息に向かい、近代国民国家の基礎が形成されました。
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中世末期、聖地奪回を目指して行われた十字軍遠征は、ほとんどが散々たる結果に終わり、遠征を呼びかけた教皇・騎士・諸侯の権威は低下、荘園制の崩壊・教会大分裂・宗教改革もそれに拍車をかけていきました。
没落した騎士や諸侯は国王の家臣となり、また王朝同士の激しい戦争(百年戦争、バラ戦争)が増えたこともあり、王権はみるみると拡大。中央集権化が極限に達すると、王は莫大な財源を思いのままに、どんな国家機関や法にも縛られない、無制限の権力を振るうようになったのです。
絶対王政を体現した絶対君主としては、スペインのフェリペ2世、イギリスのエリザベス1世、フランスのルイ14世などが有名です。中でも「朕は国家なり」のルイ14世(在位1643〜1715年)は典型で、フランスは彼の治世で強力な中央集権国家へと変貌し、軍備拡張・対外強硬策を推し進めていきました。またそのことでイギリスはじめ諸外国との対立を深め、軍費で財政を圧迫してしまったことは、のちのフランス革命の導火線となります。
フランス絶対王政を体現したルイ14世
絶対王政を思想的な面で支えたのは「王権神授説」と呼ばれる政治理論です。「王は神に対してのみ責任を負い、どんな法や人民の反抗にも拘束されない不可侵のもの」とする考え方を支柱にしており、教皇や皇帝の干渉を排除する狙いがありました。イギリスのジェームズ2世やフランスのルイ14世が信望者として知られます。
絶対王政の支柱は官僚と直属の常備軍ですが、それを維持するには莫大な資金が必要です。そこで各国の王は海の向こうに眠る「富」…主に新大陸から採掘される金銀を当てに海外進出を推し進め、ヨーロッパの活動領域が地球規模に拡大する大航海時代の道を切り開いたのです。同時に、絶対王政諸国が植民地利権をめぐり激しく争うようになりました。
封建社会のヨーロッパは諸侯や貴族、教会権などに権威が分散し、今のように「国家」という概念が希薄でした。しかし絶対王政(主権国家体制)の成立で、全ての市民が「王」という一つの政治秩序のもとに置かれたことで、ようやく「国民国家」という意識が芽生え始めたのです。
フランスにおけるバスティーユ襲撃を描いた絵。ブルボン絶対王政を打倒したフランス革命の号砲となった。
近世も末期になると、度重なる戦争やそれにともなう不況、気候変動による飢饉などが重なり、絶対主義体制に対する不満が高まっていきました。王は最初こそ変革を求める声を力で抑え込めていましたが、やがてはイギリス革命・フランス革命に代表される市民革命の攻撃を受け、体制を維持できなくなるのです。こうしてヨーロッパは徐々に国民を主権者とする近代市民社会へと脱皮を遂げていきました。
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