古代ローマは重要である。ローマ人を無視するのは、遠い過去を切り捨てるということだけでは済まない。古代ローマは今も、学者先生の高等理論にしろ俗世間で起きる出来事にしろ、現代世界をどう理解し、私たち自身についてどう考えるべきか、その指針となる。二千年経った今なお、西洋の文化や政治、私たちが書く文章、世の中の見方、世界における西洋の立ち位置の基盤なのだ。
メアリー・ビアード著『ローマ帝国史T』p13より引用
古代ローマは、かつてヨーロッパで覇権を握っていた古代の超大国の総称です。前8世紀イタリアに成立して以降、周囲の種族や都市国家を吸収しながら勢力を拡大。前3世紀にはイタリア半島を統一し、前1世紀には地中海世界全域+西ヨーロッパの大部分を支配する大帝国に成長しました。この史上類を見ない広域国家の台頭により、この国が持っていた文化(キリスト教、ローマ法、ラテン語など)がヨーロッパ広しに定着し、現在に続くヨーロッパ文化の素地が形成されていったのです。
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古代ローマは前753年、イタリア半島中部・テベレ川下流域の小さな都市国家として成立しました。最初は王政でしたが、前6世紀に国王を追放することで共和政に移行。共和政初期には貴族と平民の身分闘争が、末期には閥族派と平民派の内乱が展開されました。
前1世紀後半にはカエサル独裁を経て共和政の基盤が揺らいだのち、オクタウィアヌスが内乱を治め共和派を一掃したことで帝政(プリンキパトゥス)が成立しています。帝政初期には「パックス・ロマーナ(ローマによる平和)」と呼ばれる空前の繁栄を享受し、トラヤヌス帝(在位:98〜117年)の治世でその版図は過去最大になりました。
ローマ帝国の最大版図
しかし4世紀になると、「ゲルマン民族の大移動」の影響で帝国領は西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に分裂。後者は1453年まで続きましたが、前者は476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルにより皇帝が廃位されたことで、滅ぼされてしまいました。この「西ローマ帝国の崩壊」という出来事は、古代ヨーロッパと中世ヨーロッパを分ける重要な基点とされています。
西ローマ帝国(赤色領域)と東ローマ帝国(青色領域)
前753年 ローマ建国
前752年 ザビニ戦争
前509年 王政崩壊
前509年 共和政の開始
前498年 ラティウム戦争
前390年 アッリアの戦い
前343年 サムニウム戦争
前272年 イタリア半島統一
前264年 第一次ポエニ戦争
前218年 第二次ポエニ戦争
前216年 カンナエの戦い
前215年 第一次マケドニア戦争
前200年 第二次マケドニア戦争
前192年 ローマ・シリア戦争
前171年 第三次マケドニア戦争
前155年 ルシタニア戦争
前153年 ヌマンティア戦争
前150年 第四次マケドニア戦争/ギリシアがローマ支配下に
前149年 第三次ポエニ戦争
前139年 第一次奴隷戦争
前133年 グラックス兄弟の兄ティベリウス・グラックスの死
前133年 内乱の一世紀の始まり(−前27年)
前121年 グラックス兄弟の弟ガイウス・グラックスの死
前113年 キンブリ・テウトニ戦争(−前101年)
前111年 ユグルタ戦争(−前105年)
前107年 マリウスの軍制改革
前90年 同盟市戦争
前88年 ミトリダテス戦争(−前63年)
前73年 第三次奴隷戦争(−前71年)
前60年 第一回三頭政治の構築
前58年 ガリア戦争(−前51年)
前53年 第一次パルティア戦争
前53年 カルラエの戦い
前49年 ローマ内戦(−前45年)
前44年 カエサル暗殺
前43年 第二回三頭政治の構築
前39年 第二次パルティア戦争
前36年 ナウロクス沖の海戦
前27年 共和政崩壊/帝政移行:オクタウィアヌスがアウグストゥス(尊厳なる者)/第一の市民(プリンケプス)の称号を受け、ローマはプリンキパトゥス(元首政)へ移行した。事実上の共和政終焉。
2年 第三次パルティア戦争
58年 第四次パルティア戦争(−63年)
68年 ローマ内戦(四皇帝の年)(−70年)
113年 第五次パルティア戦争
161年 第六次パルティア戦争
165年 天然痘の大流行(アントニヌスの疫病)
193年 セウェルス朝時代の始まり
194年 第七次パルティア戦争(−198年)
212年 アントニヌス勅令
217年 第八次パルティア戦争
235年 軍人皇帝時代の始まり/コロナトゥスの普及
260年 ガリア帝国成立/エデッサの戦い
273年 皇帝アウレリアヌスによるパルミラ王国、ガリア帝国の征服(−274年)
284年 ドミナートゥス(専制君主制)へ移行
293年 テトラルキア(四分割統治)の導入
313年 ミラノ勅令(キリスト教が公認に)
330年 都をローマからビュザンティオン(後にコンスタンティノポリスに改名)に移す。
375年 ゲルマン民族の大移動
376年 ゴート戦争【ハドリアノポリスの戦い(378年)】(−382年)
392年 キリスト教の国教化
395年 西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂
410年 ゲルマン民族一派の西ゴート族によるローマ侵攻・陥落(ローマ略奪)
476年 西ローマ帝国の滅亡(古代ローマ時代の終焉)
初期は王政(紀元前753年 - 紀元前509年)で、その後共和政(紀元前509年 - 紀元前27年)となり、最終的に帝政(紀元前27年 - 西暦476年)に移行しました。初代皇帝はアウグストゥス(オクタヴィアヌス)で、彼の治世からローマ帝国の繁栄が始まりました。
共和政時代、元老院(Senatus)と市民会(Comitia)が重要な政治機関として機能しました。元老院は主に貴族(パトリキ)の代表で構成され、市民会は全市民が参加する立法機関でした。
コロッセオ、パンテオン、フォルム・ロマヌムなどの壮大な建築物が建設されました。ローマ水道橋や道路網はローマの技術力を象徴し、後世にも大きな影響を与えました。
ウェルギリウス、オウィディウス、ホラティウスなどの詩人が活躍し、『アエネーイス』や『メタモルフォーゼス』などの名作が生まれました。セネカやキケロといった哲学者や政治家も有名です。
ローマ軍団(Legiones)は、厳格な訓練と規律で知られ、帝国の拡大に大きく貢献しました。カエサルのガリア戦記や、トラヤヌスのダキア征服などが有名です。
最大時には地中海全域、ヨーロッパ、北アフリカ、中東の広範な地域を支配しました。各地にローマ文化や法律が浸透し、「ローマの平和」(Pax Romana)が実現しました。
銀貨(デナリウス)や金貨(アウレウス)などが流通し、商取引が盛んでした。商業や農業が経済の基盤であり、各地から多様な商品がローマに集まりました。
ローマ市内にはフォルム、浴場、闘技場、劇場などがあり、都市生活が豊かでした。一般市民(プレブス)から貴族(パトリキ)まで、階層ごとに異なる生活が営まれていました。
ジュピター、ユノー、ミネルヴァなど、ギリシャ神話から取り入れた多くの神々が信仰されました。ローマ皇帝も神格化されることがありました。
1世紀頃からキリスト教が広まり、4世紀にはコンスタンティヌス帝がミラノ勅令でキリスト教を公認しました。テオドシウス帝の時代にはキリスト教が国教となり、ローマの宗教風景が大きく変わりました。
これらの特徴は、古代ローマが後世に与えた影響の一部に過ぎませんが、その壮大な歴史と文化は今日に至るまで多くの人々に影響を与え続けています。
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