ヴィスコンティ家

ヴィスコンティ家(Visconti)は、13世紀から15世紀までミラノを支配したイタリアの名家です。12世紀中期に「副伯」の称号を得て世襲化。13世紀にはミラノ大司教に並ぶ名誉と勢力を得て繁栄の基礎を築き、ミラノで絶大な影響力を行使するようになりました。

 

 

ヴィスコンティ家の歴史

14世紀末にジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年 - 1402年)が神聖ローマ皇帝からミラノ公の称号を与えられ、ミラノ公国が成立しました。ミラノを手中に納めたことで、ヴィスコンティ家は最盛期を迎えました。有名な聖母マリアのドゥオモの建設が始まったのもこの時期です。

 

ミラノの繁栄はルネサンス期を通じて続きましたが、ヴィスコンティ家は、フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ(1392年 - 1447年)の死去により断絶し、ミラノの支配権をスフォルツァ家の手に譲ることになりました。

 

ヴィスコンティ家の紋章

ヴィスコンティ家

 

ヴィスコンティ家の紋章はマムシになっており、これは都市(コムーネ)の自立を象徴するサンタンブロージョ教会の蛇を模写したものです。

 

サンタンブロージョ教会は4世紀末の初期キリスト教時代に建てられたミラノ最古の教会堂で、ロマネスク建築による飾り気の少ない簡素なデザインが特徴的です。

 

ヴィスコンティ家の末裔

ベルナボ・ヴィスコンティ(1323年‐1385年)

14世紀のミラノの僭主。専制政治と重税を行ったことで、1385年に甥のジャン・ガレッツォ・ヴィスコンティに廃位に追い込まれ、幽閉中に毒殺された。

 

ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年‐1402年)

ベルナボの死後、ミラノ公国を成立させ、初代ミラノ公(在位1395年-1402年)となった。ミラノ大聖堂を建設するなど、文化面の保護と発展に尽くし、ミラノに黄金期をもたらした。

 

ルキノ・ヴィスコンティ(1906年‐1976年)

イタリア人映画監督として有名。ヴィスコンティ家の城で芸術に囲まれて育ち、舞台俳優やセットデザイナーの経験を経て、1942年に映画監督としてデビュー。その後ヴェネツィア国際映画祭を始めとする様々な映画祭で、数多の賞を受賞。

 

 

フランス系

カペー家/ブルゴーニュ家/ヴァロワ家/ブルボン家/ボナパルト家/オルレアン家/ノルマンディー家/フランドル家


ドイツ系

ハプスブルク家/リウドルフィング家/ズップリンブルク家/ヴィッテルスバッハ家/ロレーヌ家/ハプスブルク=ロートリンゲン家


イタリア系

メディチ家サヴォイア家ボルゲーゼ家ボルジア家ヴィスコンティ家スフォルツァ家パッツィ家