イタリア王国(伊:Regno di Italia)は、1861年から1946年まで存続した現イタリア共和国の前身国家です。18世紀中期から始まるサルデーニャ王国主導のイタリア統一運動(リソルジメント)の結果成立し、第二次世界大戦後、国民投票による王政廃止(共和政へ移行)にともない滅亡しました。
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イタリア王国の国旗
イタリア王国の国旗は、現在のイタリア共和国の国旗と基本的なデザインは同じです。それは垂直に配置された三つの等幅のストライプから構成され、左から順に緑、白、赤の配色がなされています。これらの色はイタリアの国民的象徴として広く認知されています。
しかし、イタリア王国の旗には一つ大きな違いがあります。それは、白のストライプの中央に王室の紋章、サヴォイア家の紋章が描かれていたことです。紋章は金と銀の十字架と、四つの赤い火のようなマークが描かれた青い盾で、これがイタリア王国を象徴していました。
1946年に共和制に移行した後、この紋章は国旗から取り除かれ、現在の三色旗になりました。これにより、国旗はよりシンプルなデザインとなり、全てのイタリア人による統一と共和主義を象徴するものとなりました。
イタリアは西ローマ帝国崩壊(5世紀中頃)以来、小国分立と周辺王国の利権争いにより、政治的統一とは無縁な場所でした。しかし19世紀にはいると、「イタリア民族による統一国家樹立」を目指すイタリア統一運動が活発化します。そしてこの運動を主導したサルデーニャ王国が、ハプスブルク家やブルボン家といった外部勢力を半島から駆逐することで、1861年には統一を完成、イタリア王国を成立させたのです。千人隊率いたジュゼッペ・ガリバルディは、イタリア統一において最も顕著な功績を挙げた軍人として知られます。
イタリア王国はサルデーニャ王国から王家や憲法、法律、政治制度などを引き継ぎ、拙速に全国民を従わせようとしたため、必然的に中央集権的な体制となり、これはのちにファシストが台頭する土壌となります。1920年代にはムッソリーニ率いるファシスト党が政権をとり、侵略戦争も辞さない強権的な国家と化したことで、ヨーロッパ情勢の緊張を生み、第二次世界大戦の原因の一つになりました。
1939年、第二次世界大戦が勃発すると、イタリアもナチスドイツに呼応し枢軸国側として参戦しますが、戦況悪化を受けて1943年には降伏、途中から連合国に鞍替えしています。そのため結果的には「戦勝国」になりましたが、戦後の傷痕は深く、国王はファシストに協力した責任を問われ、1946年、王政廃止を問う国民投票にかけられます。その結果、王政廃止(および王族の国外追放)と共和政への移行が決定し、王政国家としてのイタリアはその歴史に幕を閉じたのです。
イタリア王国は、1861年に様々な地域が統合されて成立しました。この国家の政治制度は、立憲君主制であり、君主としての王と議会が権力を共有していました。
イタリアの君主は主に象徴的な存在でしたが、軍の最高指揮官でもあり、法案を署名して法律にする権限がありました。彼はまた、首相を任命する権限を持っていました。
イタリア王国は二院制を採用しており、議会は上院(元老院)と下院(代議院)の二つからなっていました。議会の権限は立法、監視、そして一部は予算の承認に及んでいました。議会は政府の方針を決定する上で中心的な役割を果たしていました。
政府は首相とその閣僚から成り、王によって任命されましたが、議会の信任を必要としていました。政府の職務は、国の行政を担当し、法律を提案し、外交政策を決定することなどでした。
イタリア王国の政治制度は、1946年の国民投票によって共和制に移行するまで続きました。それ以降、イタリアは「イタリア共和国」となり、大統領が国家の象徴となり、行政権は首相と閣僚によって行使されるようになりました。
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