フランス革命戦争における最初にして最大級の海戦「栄光の6月1日」
フランス革命戦争は、1792年から1799年にかけてフランスとヨーロッパ諸国の間で行なわれた戦争です。フランス国内の革命勢力と反革命勢力の内乱から、革命の影響が自国におよぶことを恐れた絶対王政諸国の介入で、ヨーロッパ全土を巻き込む戦争に発展しました。
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フランス革命を受け、オーストリア・プロイセン共同でフランスに対し王政復古を求めるピルニッツ宣言を出した。この宣言はフランスの反革命に対する嫌悪感を増幅させ、翌年のフランス革命戦争に繋がっていく。
フランス革命戦争の発端は、フランス革命の波及を恐れた周辺国が、フランスの内政に干渉したことにあり、決定打となったのはプロイセン王国と神聖ローマ帝国(オーストリア・ハプスブルク家)が共同で出したピルニッツ宣言(1791年)です。これはフランス王家の身の安全を保障するよう、革命政府に警告するものでしたが、フランスの革命派はこれを「最後通牒」と理解。宣言はフランスにおける反革命への反抗心を煽る結果となり、翌年92年4月革命政府によるオーストリアへの宣戦布告をもって革命戦争は開始されたのです。
1792年、フランス革命の結果成立したフランス革命政府が、国内に干渉するハプスブルク帝国(オーストリア)に宣戦布告したことで戦争の火蓋が切られました。さらに翌93年にはフランスの革命勢力を倒すべくイギリス、オランダ、スペイン、イタリアなどによる第一次対仏大同盟軍が結成されています。フランスは国民総動員体制でこれに対抗し、ナポレオンの活躍もあり、97年には対仏大同盟を崩壊に追い込んでいます。そして革命政府は国際的な承認を勝ち取り、ヨーロッパ全域にフランス衛星国を持つ広大な帝国を築き上げたのです。
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