ユグルタ戦争

ユグルタ戦争

ローマ人に拘束されるユグルタ王

 

ユグルタ戦争とは、紀元前112年から紀元前106年にかけ、共和政ローマと、北アフリカのヌミディア王ユグルタとの間で起こった戦争です。マリウスの兵制改革を背景にローマが勝利をおさめ、北アフリカの支配確立とともに地中海覇権を確固たるものにしました。

 

 

戦争の背景

ヌミディアは北アフリカ、現アルジェリア北東部周辺にあたる地域に存在した王国です。もともとローマの保護国であり、親ローマの王が即位していたので関係は良好でしたが、前118年に親ローマの王が没し、王の後継者争いが勃発したことで潮目が変わります。ローマとしては何としても親ローマ的な王を即位させる必要があったので、この後継者争いには積極的に介入していきました。

 

戦争の結果

ヌミディア王の後継者で最も有力だったのはユグルタとアドヘルバル。ローマは親ローマのアドヘルバルを支援していましたが、反ローマ主義のユグルタはアドヘルバルを殺害し、彼に助力していたローマ人もことごとく粛清してしまいます。これに怒ったローマがユグルタに宣戦布告したことで、ユグルタ戦争の戦端が開かれたのです。ローマは序盤苦戦を強いられたものの、地力で次第に反対勢力を押さえ込んでいき、最終的にはユグルタを捕縛することで戦争を終結させました。なおユグルタはその後ローマに送られ、前104年マリウスの凱旋式の余興で処刑されています。

 

戦争の影響

ユグルタ戦争の影響は、ローマの軍事的・政治的発展において重要な転換点となりました。この戦争を通じて、ローマの統治者たちは従来の戦略を見直し、特に軍事の効率化と指揮系統の改善に着手しました。マリウスの兵制改革はその代表例で、志願兵制の導入や装備の統一がローマ軍を大幅に強化しました。これにより、ローマは平民層を取り込み、より強力で柔軟な軍事力を獲得しました。さらに、北アフリカへの支配権を確立したことで、地中海全域におけるローマの覇権は揺るぎないものとなったのです。