イタリア統一(独立)戦争

イタリア統一(独立)戦争

イタリア独立戦争の戦いの一つソルフェリーノの戦い

 

イタリア統一戦争(イタリア独立戦争)は、サルデーニャ王国率いるイタリア諸国の連合が、イタリアの独立と統一を求め、3次にわたりオーストリアと争った戦争です。この戦争にサルデーニャが勝利した結果、中世以来小国分立状態にあったイタリアが、イタリア王国(のちの共和国)という政治共同体として1つにまとまることができたのです。

 

 

第一次独立戦争の経過

時期:1848〜1849年

 

 

第一次独立戦争は、イタリア統一運動の初期段階を象徴する戦争であり、サルデーニャ王国がオーストリア帝国に対抗した重要な出来事です。この戦争は、イタリアにおけるオーストリア支配を終わらせることを目的としていましたが、最終的にはサルデーニャ王国の敗北に終わりました。

 

しかし、この敗北の反省を活かし、イタリアの愛国勢力は次の戦いに備える「準備の十年間(decennio di preparazione)」を過ごしました。この期間には、政治的な準備や軍備の整備が進められ、イタリア統一への意志が一層高まりました。この戦争が次の統一運動の礎を築いたことは、イタリア独立運動史において非常に重要な意味を持っています。

第二次独立戦争の経過

時期:1859年

 

第二次独立戦争は、イタリア統一運動の重要な転機となった戦争です。1848〜49年の第一次独立戦争の敗北を踏まえ、サルデーニャ王国は外交戦略を大きく転換しました。オーストリアという共通の敵に対抗するため、かつて対立関係にあったフランスとの同盟を実現しました。この同盟は、フランス皇帝ナポレオン3世とサルデーニャ王国首相カヴールによる「プロンビエール密約」に基づくものでした。

 

1859年、フランス軍とサルデーニャ軍は共同でオーストリアと戦いを開始し、ロンバルディア地方を奪回することに成功しました。この戦争の結果、イタリア統一運動は大きく前進しました。

 

イタリア統一の完成

ロンバルディア奪回を機に、イタリア統一への道が一気に開かれました。トスカーナ、エミリア・ロマーニャ、ウンブリアなどの地方は次々と併合され、1861年にはジュゼッペ・ガリバルディ率いる「千人隊」が南イタリアを征服しました。この成果をもってイタリア統一はほぼ達成され、同年、サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を君主とするイタリア王国が成立しました。

 

未回収のイタリア

第二次独立戦争によりイタリア統一は事実上完成しましたが、依然としてオーストリア支配下にあった地域が残されていました。トリエステ、南チロル、ヴェネト地方など、イタリア文化圏でありながら統一から取り残されたこれらの地域は「未回収のイタリア」と呼ばれました。この未回収地域の「回収」は、イタリア王国の重要な政治課題として残され、後の第三次独立戦争(1866年)や第一次世界大戦へと繋がっていきます。

 

第二次独立戦争は、イタリア統一運動における決定的な前進をもたらしましたが、さらなる課題も残しました。それでも、この戦争の成果はイタリア近代史における大きな一歩として記憶されています。

 

第三次独立戦争の経過

時期:1866年

 

第三次独立戦争は、1866年の普墺戦争(プロイセン=オーストリア戦争)に連動して行われた戦争です。この戦争でイタリアはプロイセンと同盟を結び、オーストリアに宣戦布告しました。主な目的は、「未回収のイタリア」と呼ばれるヴェネト地方の併合でした。

 

イタリア軍は陸戦と海戦でオーストリア軍と対峙しましたが、リッサの海戦(1866年)では敗北を喫するなど、軍事的には苦戦しました。しかし、同盟国プロイセンがオーストリアに対して圧倒的な勝利を収めたため、イタリアは講和交渉の結果としてヴェネト地方を獲得することができました。

 

この戦争の結果、「未回収のイタリア」の一部が統一され、イタリア統一戦争(イタリア独立戦争)は事実上の終結を迎えました。以後、イタリアはトリエステ南チロルなど残された領土の回収を目指しつつ、国家の強化に努めることになります。

 

第三次独立戦争は、イタリア統一運動の最終的な成功を象徴する戦いであり、イタリア王国成立後の安定に向けた重要な一歩となりました。