ローマ略奪(410年)

ローマ略奪(410年)

ローマに雪崩れ込むゴート族

 

ローマ略奪は、410年、西ローマ帝国領ローマにゲルマン民族のゴート族が侵入し、略奪や破壊を行った事件です。当時のローマはすでに帝国の首都ではなくなっていたものの、「永遠の都」として象徴的地位を持っており、直接的な侵略とも無縁だったことから、この都の陥落は全ローマ市民を震撼させました。ローマ帝国末期の衰退を象徴する出来事でもあります。

 

 

ローマ略奪の背景

375年以来、フン族からの圧迫を受けたゲルマン人がローマ帝国領内へ侵入を繰り返すようになっていました(ゲルマン民族の大移動)。そこでテオドシウス帝は395年、ゲルマン人の侵入に機敏に対応できるよう、広大な帝国領を東西に割り、それぞれ2人の息子に分担統治させることに。西ローマ帝国の統治を任されたホノリスは、首都を防衛線の張りやすいラヴェンナに移し、帝国心臓部に迫るゲルマン人を迎え撃つ準備を進めていました。しかしゴート族は首都ラヴェンナではなく、防御が手薄なローマに進撃を開始し、8月24日より3日間、略奪と破壊行為の限りを尽くしたのです。

 

ローマ略奪の結果

ローマ略奪は、ゴート族の指導者アラリック1世(在位:395〜410年)による攻撃で、西ローマ帝国の象徴ともいえる「永遠の都」が陥落する結果となりました。3日間にわたる略奪で、多くの住民が虐殺され、貴族の邸宅や公共施設、宗教施設が破壊され、膨大な財宝が持ち去られました。一部の教会や宗教施設は破壊を免れたものの、ローマの物質的・精神的被害は甚大で、かつての帝国の威光が失われたことを象徴する事件となりました。

 

また、この略奪を受け、西ローマ帝国の防衛力や政治的安定性に対する信頼はさらに低下しました。帝国内の各地方や属州では、中央政府に対する不信感が高まり、地方独立の機運が一層強まったのです。

 

ローマ略奪の影響

この略奪は、西ローマ帝国の衰退を象徴する出来事であると同時に、ヨーロッパ全体に広がる動揺を引き起こしました。「ローマは永遠に滅びない」という信念が崩れ去り、キリスト教の指導者アウグスティヌスはこの事件を契機に著作『神の国』を執筆し、地上の国家が滅びゆく運命にあることを説きました。これは、中世ヨーロッパにおけるキリスト教思想の発展に大きな影響を与えるきっかけとなります。

 

さらに、ローマ略奪は西ローマ帝国の崩壊に向けた不可逆的な一歩であり、その後の476年の帝国滅亡を予兆する重大な出来事だったのです。