ヘルマン・フォーゲルによる第三次奴隷戦争(スパルタクスの乱)を描いた『スパルタクスの最期』(1882年)
古代ローマで3次にわたり勃発した奴隷反乱について解説しています。
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ローマにおける奴隷戦争といえば、剣闘士奴隷スパルタクスによる「スパルタクスの乱(第三次奴隷戦争)」が、何度も映画化・ドラマ化などされていることもあり最も有名ですが、奴隷によるローマへの大規模な反乱は、実はそれ以前にも2回起きています。うち一度目の反乱が紀元前135年から紀元前132年にかけて発生した第一次奴隷戦争です。
第一次奴隷戦争は、ポエニ戦争の結果ローマ属州となったシチリア・エンナの奴隷による反乱をきっかけに勃発。ローマ人が奴隷達に十分な食料も服も与えず、過酷な生活を強いたことがこれを誘発してしまったのです。シリア出身で預言者とされたエウヌスと、キリキア出身で軍事に長けたクレオンが20万にもおよぶ反乱奴隷軍を指揮。結果的には鎮圧されたものので、彼らの指揮で、兵力ではるかに勝るローマ軍相手に善戦したことは、のちに起こる第二次奴隷戦争の原動力にもなります。
第二次奴隷戦争は、紀元前104年から紀元前100年にかけて、共和政ローマで起こった奴隷による大規模な反乱です。当時のローマは、スカンディナヴィア半島から南下するキンブリ族の侵入を阻止すべく、一定の兵力を必要としていました(キンブリ・テウトニ戦争)が、同盟国は兵力供給の要請に応じられませんでした。代わりに一部の従順な奴隷を利用することに決めますが、そのために解放したシチリアの奴隷800名がローマに対して反乱を起こしたのです。この第二次奴隷反乱の首謀者は、第一次奴隷戦争で指揮を執ったエウヌスの後継者を名乗るサルウィウスであり、彼は数万の軍勢を築き上げ、ローマに対し善戦しますが、最終的には鎮圧されていきました。
第三次奴隷戦争とは、紀元前73年から紀元前71年に共和政ローマで起こった大規模な奴隷反乱です。ローマで3度起こった奴隷戦争の内、最後かつ最も大規模な戦いとなり、指導者のスパルタクスの名にちなみ、スパルタクスの乱とも呼ばれています。
カプアの剣闘士養成所から70人の剣闘士が脱走。逃走中に次々と奴隷を解放しながら勢力を拡大し、最終的には12万の軍勢となりイタリア各地を襲撃するようになりました。これまでの奴隷戦争と違い、戦闘能力に長ける剣闘士奴隷が中核であり、ローマ軍は養成所で厳しく鍛え上げられた剣闘士に大変な苦戦を強いられました。さらに指導者のスパルタクスが、元々ローマの補助兵であり、ローマ側の出方が先読みされていたともといわれています。
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