
イルンの戦い(1936年)における共和国軍
スペイン内戦は、1936から39年にかけ、第二共和政期スペインで起こった内戦です。ドイツ・イタリアは軍部・右翼勢力(反乱軍)に、ソ連は人民戦線(共和国軍)に軍事援助を行い、各国自前兵器の試験場としても利用したので、この内戦は第二次世界大戦の前哨戦としての性格も孕んでいます。
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スペインでは第二共和政成立(1931年)以来、激しい政治的対立が続いていました。そんな中で人民戦線政府が成立(1936年)すると、アサーニャ内閣は政敵(ファシズム勢力)の掃討に乗り出し、その一環としてフランコ将軍をスペイン領モロッコ(当時)に左遷してしまいます。
左遷を喰らったフランコは、人民戦線政府の反ブルジョア的政策に不満を抱く軍部・資本家・教会・大地主からの支持を受け、モロッコで軍事蜂起を敢行。さらにカナリア諸島から放送で本土の軍隊にも決起を促し、スペインを二分する大規模な内戦を引き起こしました。
フランコ率いるファシズム勢力は、ヒトラーのドイツ、ムッソリーニのイタリア、サラザールのポルトガルなど、同じファシズム国家から武器・物資・兵員の面で援助を受けることができました。
一方人民戦線政府のほうは、
ということもあり、軍事力や結束力で勝るフランコ軍に圧倒され、2年半におよぶ戦いの末、最後には首都マドリードが陥落し敗北を喫してしまうのです。
人民戦線政府は国外逃亡に追いやられ、スペイン共和政は崩壊、ここにその後およそ40年近くも君臨することになるフランコ独裁政権が成立しました。
スペイン内戦の結果、人民戦線政府は敗北し、共和政は崩壊しました。その後、フランシスコ・フランコ将軍を中心とするフランコ独裁政権が1939年に成立しました。この政権は約40年にわたりスペインを支配し、民主的自由の抑圧とともに、経済的な閉鎖政策を進めました。
スペイン内戦におけるナショナリスト勢力への支援は、イタリアのムッソリーニ政権やドイツのナチス政権によるものが大きく、彼らは内戦を軍事力の試金石として利用しました。この戦争は、ヨーロッパにおけるファシズム勢力の影響力を拡大させ、第二次世界大戦への前奏曲ともなりました。
スペイン内戦では、イギリスやフランスをはじめとする西側諸国が「不干渉政策」を採用し、共和派への直接的な支援を控えました。この政策は、結果的にフランコ側の勝利を許し、国際連盟の限界を露呈しました。この消極的な態度は、ヨーロッパでのファシズム勢力の拡大を防げなかった要因の一つとされています。
スペイン内戦は国内的な結果に留まらず、ヨーロッパ全体の政治・社会情勢に影響を及ぼし、20世紀の国際関係における重要な転換点となりました。
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