
ラテン人(ラテン語:ラティニLatini)とは、かつて古代イタリア中西部のラティウム地方に定住し、ラテン語を話していた民族、またその民族の末裔のことです。初期ローマ人を構成した主要民族とされています。
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ラテン人の文化はラティウム文化と呼ばれています。紀元前1000年から紀元前700年頃に形成されたと考えられています。ラティウムにはラティウム文化の有名な建築物や芸術作品が多く残されており、小屋の形を模した棺は象徴的存在です。初期ラティウム人は木とワラで作られた質素な住居に住み、「カーサ・ロムルス」と呼ばれるパラティーノの丘に残された木造家屋はラティウム人の典型的な家屋として知られています。
ラテン人は厳格なカトリック信者が大半を占めています。カトリックはキリスト教の中でも最も古くからある宗派です。ラテン系民族が多数を占めるイタリア・ローマには、カトリックの総本山バチカン市国が存在します。
ラテン系民族が多数を占める国はイタリア、スペイン、ポルトガル、フランス、ルーマニアなど。これらの国々に住むラテン系の人たちは、とにかく明るく感情表現豊かで、話し好き、あまり細かいことでクヨクヨしない、前向きな人達が多いといわれています。
紀元前11世紀頃にイタリア半島中部のラティウム地方に定住し、ローマなどの都市を建設しました。(ラテン人=ラティニとは「ラティウムの人々」を意味する言葉)ローマはラテン文化を軸として発展し、支配領域の拡大とともに、ラテン文かも地中海全域へと普及していきました。現在のヨーロッパ文化に大きな影響を残したのです。
共和政ローマとラティウムの先住民との間でラティウム戦争と呼ばれる戦争が2度起こっています。(第1次:紀元前498年-紀元前493年、第2次:紀元前340年-紀元前338年)先住ラテン人は同盟を組み、支配を強めるローマからの独立を求め決起を起こしたものの、最終的には敗れ、服属することになりました。
ラティウム地方のラテン人は、ローマの支配下でローマ帝国の一部となりました。この過程で、ラテン人はローマ文化を吸収し、ローマの政治、経済、文化の中心地として機能しました。また、ラテン語はローマ帝国の公用語として広く使われ、ヨーロッパの多くの言語に影響を与えることとなりました。
ローマ帝国の時代に、ラテン人はキリスト教を受容しました。初期の迫害の時代を経て、キリスト教はローマ帝国の公式宗教となり、ラテン人の信仰生活に深く根付いたのです。これは後のヨーロッパのキリスト教文化においても大きな影響を及ぼしました。
ラテン人の最も大きな遺産は、ラテン語によって形成された文化的、言語的基盤です。
ラテン語はローマ帝国を通じてヨーロッパ全域に広まりました。中世を通じて学術、法律、教会の言語として使用され、現代の多くのロマンス語にその影響を残しています。
ラテン人の文化、特に法律、文学、哲学は、ヨーロッパの文化遺産として重要な位置を占めています。ローマ法や古典文学は、西洋の思想や文化において基礎的な要素となっています。
ラテン人は、その言語、文化、歴史を通じて、ヨーロッパ文化に計り知れない影響を与えました。ローマ帝国の一部として、またその後の時代においても、ラテン人の遺産はヨーロッパ文化の根幹を形成し続けています。ラテン語や文化遺産は、今日においても私たちの生活や思考に深く影響を及ぼしており、その歴史的重要性は計り知れないものがあります。
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