戦間期

戦間期



これは平和ではない。20年間の休戦にすぎない。

 

 

ウィンストン・チャーチル『第二次大戦回顧録』より

 

戦間期(英:interwar period)とは、第一次世界大戦の終結(1918年11月)から第二次世界大戦の勃発(1939年9月)にいたる約20年間の「平和」のことです。第一次大戦で最悪の被害を受け、戦前と戦後ではまるで「別世界」となったヨーロッパにとっては、特に重要な意味をもちます。

 

 

戦間期の概要

戦間期とは、第一次世界大戦(1914年〜1918年)と第二次世界大戦(1939年〜1945年)の間の約20年間を指す時期です。この時期、ヨーロッパは戦争の影響を受け、政治・経済的に混乱しました。ドイツはヴェルサイユ条約による賠償金に苦しみ、経済的な不安定が続いた一方で、1920年代中頃一時的に繁栄が訪れましたが、1929年の世界恐慌がその流れを一変させ、世界中で不況が広がります。

 

この混乱の中、ドイツではナチス党が台頭し、アドルフ・ヒトラー(1889〜1945)が独裁政権を確立。イタリアや日本でも全体主義的な政権が強まりました。こうして、戦間期は再び大戦へ向かう不安定な時代となったのです。戦間期は一時の繁栄と深刻な経済・政治的危機が交錯する時期だったんですね。

 

戦間期の体制変更

第一次世界大戦は帝国主義に終止符を打った出来事でもありました。戦争の長期化による犠牲者の増大・経済不況・飢饉の深刻化は参戦各国の内政に深刻な打撃を与え、戦争終結前後にドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国というヨーロッパで覇を争った四大帝国が消滅しているのです。

 

戦前と戦後でヨーロッパの姿はまるで「別世界」であり、戦間期のヨーロッパ情勢を把握する為には、どの国の体制がどう変わったのか理解しておく必要があります。

 

ロシア帝国⇒ソビエト連邦

第一次大戦中、ロシア革命で崩壊(1917年)。後継国としてソビエト連邦が成立。世界初の社会主義国家として、戦間期は「計画経済」のもとヨーロッパで唯一高度経済成長を続けました。

 

ドイツ帝国⇒ワイマール共和国

第一次大戦中、ドイツ革命で崩壊(1918年)。後継国としてワイマール共和国が成立。アメリカのドーズ案の成果もあり復興に向かっていましたが、世界恐慌で破綻。ファシズムが蔓延し、ナチス・ドイツ(第三帝国)成立に繋がりました。

 

オーストリア・ハンガリー帝国⇒オーストリア共和国/ハンガリー共和国

オーストリア・ハンガリー帝国は、第一次大戦中、オーストリア革命、ハンガリー革命で崩壊(1918年)。後継国としてオーストリア第一共和国、ハンガリー第一共和国が成立しました。前者はナチスドイツに併合(1938年)され、後者は共産化(1919年)によりそれぞれ崩壊する運命を辿りました。

 

オスマン帝国⇒トルコ共和国

オスマン帝国は、第一次大戦後、トルコ革命で崩壊(1922年)。後継国としてトルコ共和国が成立しました。世界恐慌で打撃を受けましたが、ソ連の「計画経済」の影響を受けた「国家資本主義」のもと徐々に復興を遂げていきました。

 

戦間期の歴史

上述した通り「戦間期」とは、第一次世界大戦(1914年〜1918年)と第二次世界大戦(1939年〜1945年)の間にあたる1918年から1939年までの時期を指します。この時期は、ヨーロッパを中心に、政治的・経済的な変動が激しく、世界が再び大戦へと向かう流れが作られていきました。以下では、この戦間期を前期、中期、後期に分けて解説します。

 

前期(1918年〜1923年):戦後の混乱と新たな秩序の模索

戦間期ベルサイユ体制を構築したベルサイユ条約の調印式

 

第一次世界大戦が1918年に終結すると、ヨーロッパは大きな変革の中にありました。戦争で多くの国が疲弊し、特にドイツは、ヴェルサイユ条約(1919年)によって巨額の賠償金を課され、政治的にも不安定な状況に陥りました。ドイツ帝国が崩壊し、ワイマール共和国が成立しましたが、国内では左翼や右翼の対立が激化し、社会は混乱に陥ります。

 

また、ヨーロッパ各地では戦後の経済再建が急務となり、国家間の協力が模索されました。その一環として、1920年には国際連盟が設立され、世界平和の維持を目指す取り組みが始まりますが、アメリカの不参加やドイツの反発など、実効性には限界がありました。同時に、ロシアでは1917年のロシア革命によってソビエト連邦が成立し、共産主義体制が確立されます。

 

この時期は、ヨーロッパの旧秩序が崩れ、新たな国際秩序が模索された時期なのです。

 

中期(1924年〜1929年):繁栄と不安定の並行

1920年代中頃には、一時的に経済が安定し、いわゆる「狂騒の20年代」とも呼ばれる繁栄の時代が訪れます。特にアメリカでは、工業化と技術革新が進み、自動車産業や映画産業が急成長しました。この好景気は、ヨーロッパにも波及し、特にドイツでは1924年のドーズ案に基づいて賠償金の支払い条件が緩和され、経済的な安定が一時的にもたらされたのです。

 

一方で、この時期には世界的な不安定さも内包されていました。とりわけ、アメリカの経済成長に依存した形で成り立っていた世界経済は、一見栄えていても非常に脆弱でした。アメリカからの資金援助や投資が突然途絶えれば、世界経済は一気に崩れるリスクを抱えていましたし、東ヨーロッパやアジアでは新興の民族主義が台頭し、既存の帝国秩序を揺るがし始めていました。このように、繁栄の裏には潜在的な不安定要因が存在していたのです。

 

後期(1930年〜1939年):大恐慌と全体主義の台頭

戦間期ドイツではファシズム勢力が伸長し、ヒトラー率いるナチスの政権獲得に繋がった。

 

1929年の世界恐慌は、戦間期の情勢に大変動をもたらしました。まずアメリカの株式市場が崩壊すると、世界中にその影響が波及、ヨーロッパ諸国も深刻な不況に陥ります。特にドイツやイギリス、フランスなどで失業者が急増し、社会的な不安が拡大。この経済的な混乱は、各国で政治的にも大きな変動を引き起こします。

 

ドイツでは経済危機の中でナチス党が台頭し、アドルフ・ヒトラー(1889 - 1945)が1933年に政権を掌握。ヴェルサイユ条約の破棄を掲げ、軍備の再建と領土拡張を進めました

 

イタリアではベニート・ムッソリーニ(1883 - 1945)率いるファシスト政権が独裁体制を強化し、さらに日本やソビエト連邦もそれぞれの方向で軍事化を進めていきました。

 

こうした全体主義や独裁体制が強まった背景には、戦後の混乱や経済的不安定に対する人々の不満があったのです。そして国際協力を目指して設立された国際連盟は、アメリカの不参加や大国間の対立によって効果を発揮できず、1939年、ドイツがポーランドに侵攻したことで、第二次世界大戦の火ぶたが切られ、ついに戦間期は終焉を迎えたのです。

 

ヴェルサイユ講和条約締結からちょうど20年後、1939年に始まるこの第二次世界大戦は、事実上「第一次世界大戦の延長戦」となり、戦間期は「平和の時代」ではなく「20年間の休戦期間(インターバル)」に過ぎなかったのです。