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「 古代ローマの生活 」の検索結果
  • 古代ローマの一般的な食事とは?
    古代ローマの一般的な食事とは?古代ローマ人の食事といっても、庶民・貴族・奴隷など身分によってずいぶんと違いました。貴族が食べるような食事は、庶民には到底食べられないようなものでしたし、庶民の食事でも、奴隷にとってはとても豪華なものといえました。庶民の食事主食庶民の主食はヨーロッパ人らしく「パン」であり、配給制でローマ市民であれば無料でもらうことができました。また古代では今のような冷蔵技術などないので、長持ちするようにカチカチに乾燥させてあり、食べる時にワインなど液体に浸して柔らかくして食べるのが一般的でした。副食当時は冷蔵技術がないので、副食(おかず)は干し魚やチーズ、ナッツなど、保存が効く食材が主流でした。また貴族の食事庶民の家庭で「火を焚くこと」は基本許されていないので、料理らしい料理は飲み屋くらいでしか食べられませんでしたが、一部のお金持ちは、火を通した魚料理や生牡蠣など豪華な海鮮料理を日常的に食べていました。ローマの貴族はとにかく「食べる」ことに貪欲で、より多くの料理を楽しむ為に、お腹いっぱいになったら吐いてまた食べるといった、少し引いてしまうレベルの豪遊にふけっていました。奴隷の食事古代ローマにおいて奴隷は貴重な労働力でした。奴隷は法的には物扱いですが、最低限の食事を与えなければ仕事をさせられないので、(主人により待遇に差はあるものの)奴隷用の質の悪いパンなどが与えられていたようです。そして奴隷の中でも「剣闘士奴隷」にはなんと「大麦」が与えられていました。大麦というのは小麦と違い、基本家畜の飼料であり、剣闘士は侮蔑の意味を込めて「大麦食い(ホルデアリウス)」なんて呼ばれていたそうです。
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  • 古代ローマ貴族は食事を吐いては食べていた?
    古代ローマ貴族は食事を吐いては食べていた?古代ローマの上流階級にとって「食べる」ことは至高の娯楽でした。貴族ローマ人の食事の時間は夕方から、長ければ深夜まで続いたといい、招待客同士の会話はもちろんのこと、音楽や詩の朗読、大道芸などを楽しみながら食事をしていました。ただしよく言われる「ローマ貴族はよりたくさん食べるために、食べては吐くを繰り返していた」が史実かどうかははっきりとしたことはわかっていません。食べるために吐いていたかは微妙もちろん中にはそういうことをする人もいたでしょうが、それが貴族の間で常態化していたかまでは、それを示す確かな証拠がありません。古代ローマの医学書に「健康法」として食べたものを吐き出すことを推奨する記述があるくらいです。※確かに贅沢な食生活を送っていたのは事実で、あまりにも食べる量が多いものだから、吐いてしまう人もそれは出たことでしょう。「食べるために吐いていた」という逸話は、それが誇張された俗説だとも考えられます。※この「健康法」は現代医学の観点からは明らかに間違いだと思われ、食後の嘔吐を癖にしてしまうと、普通に食事をしていても吐いてしまったり、食道裂傷を起こしたり、胃酸で歯が酷く傷んでしまうことがあるのでマネしないようにしましょう。
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  • 古代ローマ公衆浴場、衛生面はどうだったのか
    古代ローマ公衆浴場、衛生面はどうだったのか昨今の古代ローマを舞台にした浴場漫画の流行で、「古代ローマ人」と聞けば、「お風呂好き」につなげる人は多いと思います。実際ローマ帝政期になると、各地に公共施設として公衆浴場が建設されるようになり、老若男女、貧富の差を問わず利用されていました。公衆浴場は不衛生だった?古代ローマ人の風呂好きは、風呂に入る習慣がなかった中世ヨーロッパの人々と対照的に語られることが多いですが、公衆浴場そのものはとても不衛生だったと考えられています。というのもローマ人は湯につかる前に体を洗ったり、湯舟のお湯をこまめに変えたりはしなかったようなのです。つまり確かに浴場はローマ人の体を綺麗にし、体臭を解消したかもしれませんが、排泄物や汚物により細菌が溢れ、他の人から病気をもらったり、感染病を蔓延させる原因にもなっていたと考えられています。古代ローマは、高度な水道や下水設備など衛星サービスを備えるなど、他の古代都市と比べて公衆衛生の意識は高かったといえますが、やはり時代が時代ですから、行き届かない部分も多々あったのですね。
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  • 古代ローマの庶民の生活
    古代ローマの庶民の生活古代ローマについて残っている記録というのは、教育を受けたり、文字を書くことができる、比較的裕福な恵まれた環境にいた人達(権力者やエリート層)によるもの、ということを念頭に置く必要があります。この階級に属していたのは全体の約0.5パーセントにも満たず、彼らの残した記録のみでは古代ローマ社会の全体像は見えてきません。古代ローマ庶民の生活を知るにはローマの庶民が普段どのような暮らしをして、何を考えていたか、というのは実は詳細な記録があまり残っておらず(女性や貧民、解放奴隷・戦争奴隷のものとなるとなおさら)、古典作家の著作や墓碑、市内に書かれた落書き、当局への訴えの書状、パピルス、考古学的遺構など様々な史料から総合的に判断していく必要があります。例えばよく古代ローマ貴族の贅沢三昧の食生活については歴史的記録から明らかですが、庶民がどのような食事をしていたのかについてはあまり知られていませんでした。しかし近年下水施設の遺構での排泄物の調査から詳細が判明してきています。人糞が明かす古代ローマ人の生活〜NATIONAL GEOGRAPHIC〜上記の調査によれば、庶民が日常的に食べていたメニューは、質素なれど非常に栄養バランスが良く、医師が推奨するようなかなり健康的な内容であるとのこと。今後も調査が進めば、もっと多くの情報が得られるとのことです。
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  • 古代ローマ時代のお菓子とは?
    古代ローマ時代のお菓子とは?実はヨーロッパのお菓子の多くは古代ローマで食べられていたお菓子、もしくは古代ローマが継承し発展させた古代ギリシアのお菓子に起源を持ちますアピキウスによる世界最古の料理本に様々なお菓子のレシピが載っており、もちろん味や見た目の違いはあったとはいえ、揚げ菓子やプリン、フレンチトーストといった現代の定番料理が食べられていたことがわかっています。菓子パンが人気だった?ローマではパン屋が人気で、フルーツタルトや菓子パン、ケーキなど品揃えは多種多様だったようです。近年流行している溢れるほどのクリームをパンで挟んだマリトッツォも、古代ローマ時代に作られていた蜂蜜やバターを使ったパンの一種が元になっていると考えられています。
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  • 古代ローマ人の服装
    古代ローマ人の服装ローマの服で最も有名なのが、一枚布を身体に巻きつけるシンプルな「トガ」ですが、このトガは時代が下るにつれて大きくなっていきました。また最初は男女差はありませんでしたが、時代が下ると女性はギリシア風のトガを着るようになりました。公職者の服装トガはやがて公服として着られるようになりました。このことでトガの着付け方や色を厳しく規定されるようになったため、もともと部屋着であったトゥニカが日常服として着られるようになりました。また4世紀にキリスト教が国教化すると、ダルマチア地方(現クロアチアのアドリア海沿岸地域)の民族服が公服として着られるようになりました。男性ローマ人の服装庶民の男性は、トゥニカの上にベージュ色のトガを着るスタイルが一般的でした。ただしトガは着付けが面倒なので、前1世紀頃からはより実用的で快適なトゥニカを重ね着したり、ギリシア風の外套を着るのが一般的になっています。女性ローマ人の服装身分に関わらず、女性は「ストラ」と呼ばれるチュニック型衣装を着ていましたが、既婚女性は踵丈のチュニック、未婚女性はもう少し短い丈のものを着るなど、既婚未婚で差異はありました。また上流階級の女性は同じストラでも、絹や綿を用いた、美しい刺繍が入った高級品を身に着けていました。上着と下着女性は上着として「パルラ」と呼ばれる一枚布を、下着として「ストロピウム」と呼ばれる胸を寄せてあげるための衣服を身に着けていました。
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  • 古代ローマ人の髪型
    古代ローマ人の髪型とは?ローマ人女性は髪を伸ばして、結い上げるのが一般的でしたが、上流階級の場合、髪飾りや付け毛を付けるなど、より手の込んだヘアスタイルを好んでいました。「髪」というのは、人体の中でもとりわけ人目につき、その人全体の印象を大きく左右する部位で、「富と権威の象徴」でもあったので、手抜きは許されなったのです。理想の髪型を作るために、相当な労力と時間を割いて、奴隷にヘアセットをさせていました。金髪が人気だった?ローマ人はラテン系が主体で黒髪や茶髪が多かったのですが、ローマ神話の女神が「波打つ美しい金髪」というイメージが定着していたことから、酢やサフランで金髪に染めるのが流行るようになりました。領土拡大でゲルマン地域を支配するようになってからは、ゲルマン民族の天然の金髪が手に入るようになり、金髪のカツラが人気を博しました。男性の髪型古代ローマ人男性の髪型は、現代ヨーロッパ人男性と同じく基本的にショートカットでした。また髪が薄い男を卑下する文化があったのは昔も変わらないようで、かの名将ユリウス・カエサルは「ハゲの女たらし」というあだ名が付けられていました。
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  • 古代ローマトイレ事情
    古代ローマトイレ事情古代ローマ時代には個人宅にトイレなどはなく、大多数の市民は市内に設置された公衆トイレを利用していました。公衆トイレの設置は紀元前2世紀から始まり、その形態は長椅子に鍵穴型の穴が空けられた簡素なものでしたが、直下には汚物を排水する下水道が通るなど、現代の公衆トイレに限りなく近い機能性を備えていました。公衆トイレは感染症の温床古代ローマの公衆トイレに仕切りなどはなく、皆丸見えの状態で用を足すことになりますが、特に気にせず、むしろ集まった人々で会話を楽しむなど社交の場になっていました。しかしこれはトイレからの伝染病の蔓延を引き起こし、便をふき取るスティック型の海綿を、人々で共有していたことも、伝染に拍車をかけました。尿が再利用されていた尿には油脂を分解するアンモニアが含まれるため、古代ローマでは尿を発酵させたものが洗剤として再利用されていました。尿に価値があるとわかると、公衆トイレにたまった尿は商品化され、尿回収業者に課税まで行われるようになりました。
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  • 古代ローマではどんなベッドを使っていた?
    古代ローマではどんなベッドを使っていた?人類のベッドの歴史は長く、文明が成立する前の石器時代から葉や草を利用したベッドに相当する寝具が使われていました。しかし現代のような木組みのベッドの原型ができたのは古代エジプトとされています。古代ローマのベッド古代ローマにおいてベッドは睡眠だけでなく、日中は食事や読書をするための長椅子としても利用されていました。ローマ帝政期になると、「キュビキュルム」と呼ばれる寝室のような部屋も登場しています。ベッドの素材ベッドには布の袋の中に羊毛や葦、藁を入れたものが使われ、羽毛のベッドもありましたが高級だったので一部の裕福な家庭に限られました。
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