ヨーロッパの政治史は、多種多様な王国・帝国・共和国が担い手となり、それぞれが絶えず力を争い、領土を拡大し、盟約を結ぶなど、様々な要素と相互作用により、脈々と紡がれてきました。ヨーロッパの政治的パワーバランスは時と共に変化し、その結果、現代の「ヨーロッパ」という地域概念を決定づけたのです。古代・中世・近世・近代と、各時代の政治情勢を理解することは、現代ヨーロッパの国々とその政治的関係性を理解するための鍵となります。
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中世ヨーロッパでは封建制という政治体制が支配的でした。各地の領主が自己の領地を統治し、その上に王や皇帝が君臨していたのです。封建国家としては、フランク王国(後のフランス)、神聖ローマ帝国(現在のドイツを中心に中央ヨーロッパ一帯)、イングランド王国(現在のイギリス)などがその典型的な例として挙げられます。
16世紀から18世紀にかけては、国王が全権を握り、国家の統治を強力に推進する、絶対主義(絶対王政)が欧州各国で主流となりました。有名な絶対君主としては、フランスのルイ14世やロシアのピョートル大帝などが挙げられます。しかしながら、18世紀後半には啓蒙主義の拡大やフランス革命など、様々な要因により、絶対王政は衰退に向かっていきました。
19世紀は、産業革命による大きな変化が特徴となります。イギリスを中心に工業化が進み、生産力の増大はヨーロッパ各国の領土拡大欲を喚起しました。この結果、ヨーロッパ列強国がアフリカやアジアへと勢力範囲を広げる帝国主義の時代が到来したのです。
しかしこの帝国主義政策の推進は、各地で民族対立と独立心を刺激し、第一次世界大戦の引き金になってしまいました。その帰結として、オーストリア=ハンガリー帝国、ロシア帝国、オスマン帝国といった、長い歴史を持つ「帝国」がいくつも滅亡するという皮肉な結果を招いています。
第一次世界大戦によって、有力な帝国が崩壊したことで、その統治下にあった国々がいくつも共和国として独立しています。これによりヨーロッパは全体として共和政へと急速に舵を切っていきましたが、同時にファシズムという、大衆心理の弱みを突いた危険な政治思想も蔓延するようになります。これは社会経済的な不安や政治的な混乱が深刻化し、強いリーダーシップを求める風潮が高まった結果でした。また、当時の民主制度の未熟さもこの動きを後押ししました。
ファシズム台頭で政治的対立と軍事的緊張が高まる中、ソ連およびナチス・ドイツによるポーランド侵攻に端を発し、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。第二次世界大戦の火蓋が切られてしまったのです。
第二次世界大戦の勃発で、ドイツの侵攻を受けたフランスでは第三共和政が崩壊し、傀儡政権のヴィシー政権が樹立されています。
第二次世界大戦後、ナチス・ドイツは連合国による敗北により、全体主義的な政治体制から連合国による占領と再編成を経て、結果的に連邦共和制の国家体制に移行しました。イタリア王国にしても、戦後国民投票で王政の廃止を決定し、共和政に移行しています。
しかしようやくヨーロッパに民主主義の時代が到来したかと思いきや、ソ連の影響下におかれた東欧諸国が、次々と民主主義とは対の社会主義体制に移行していきました。これでヨーロッパは、西の自由主義国、東の社会主義国と、歴史上類を見ない政治的分断状態に陥ってしまいました。
しかし20世紀後半から21世紀初頭にかけて、西ヨーロッパの国々が中心となって連携を深め、経済的な統合を進めるために欧州連合(EU)を設立しました。EUは政策調整や法制度の調和を通じて、ヨーロッパ全体の政治的統一を目指す組織であり、ソ連崩壊後は民主化を遂げた東欧諸国も加わっています。こうして、何千年と争いを繰り広げてきた過去を反省し、政治的な問題を武力ではなく、民主的で粘り強い話し合いで解決していく、「平和路線」のヨーロッパ秩序がようやく開始されたのです。
このように、ヨーロッパの政治史は多くの国々が、各時代ごとに異なる政治体制を経験しながら発展を遂げてきました。それらは時に力を絶大に拡大し、時には壊滅的な打撃を受けました。しかし、その結果として現在のヨーロッパの政治環境、特に欧州連合という組織が形成され、地域全体が平和と繁栄を追求する方向へと進むきっかけとなったのです。その歴史を知ることは、私たちが今日直面する多くの政治問題や課題を解決していく上で、大きな助けになることでしょう。
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