世界恐慌または大恐慌(英: Great Depression)とは、1930年代に起こった、アメリカを爆心地として、全資本主義国に延焼した世界的な経済不況のことです。20世紀最大といえる大不況は経済先進国・後進国関わらず深刻な影響を与え、これにより生まれた「持てる国」と「持たざる国」の分断は第二次世界大戦の誘因となりました。
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大恐慌の始まりは1929年9月のアメリカの株価大暴落でした。翌10月24日(通称「暗黒の木曜日」)にはニューヨーク株式市場の暴落が起き、企業や銀行、工場の倒産が相次ぐ事態に発展。わずか数年の間に失業率が20%を超え、世界の国内総生産 (GDP) も10%以上減少する大不況に陥ったのです。
さらにこの経済危機を受け、各国は自国産業保護のためブロック経済政策に踏み切り、自由な経済交流が停滞する中、国際貿易は50%以上も減少しました。
供給過多による農作物価格の大幅下落は農村地域を直撃。とりわけ第一次産業に依存している地域は壊滅的な被害を受けました。また32年までに工業生産が半減し、ヨーロッパの工業都市も大ダメージを受けています。
莫大な戦後賠償金をアメリカからの援助などで緩和しつつ、20年代中頃にはようやく復興へ向けた希望が見えてきたドイツですが、世界恐慌をうけそんな努力も水泡に帰してしまいます。不況による社会不安はファシズムの温床となり、33年にはヒトラー政権が成立。軍拡と対外侵略にまい進し、そのまま第二次世界大戦に突入していくのです。
世界恐慌による社会不安はファシズムの伸長を招いた。
イギリス・フランスのように、原料の供給地たる植民地を世界中に保有する「持てる国」は、恐慌の中でもなんとかしのぐことができました。一方でブロック経済政策の実施で「持たざる国」への圧迫を強めたことは、ファシズム国家が「生存」のために対外侵略を強行するのに良い口実にされたのです。
社会主義国のソ連は唯一、恐慌の影響をほとんど受けずに済み、スターリンの推し進める「五か年計画」のもと堅実に工業化と経済成長を進めていきました。1930年にはGDPでイギリスを凌駕するなど、生産を国が管理する「計画経済」に対する関心が集まるようになります。
ソ連による穀物強制徴収の様子/ウクライナのハルキウ州にて
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