“異端”アリウス派とは?アタナシウス派との違い

キリスト教のアリウス派というのは、キリスト教がローマ領内で普及していく過程で生まれた異端の一派です。キリストは神ではなく、「神の使い」に過ぎない「ただの人」である、というアレクサンドリアの司祭アリウスが唱えた説で、かつてゲルマン社会で主流でした。それに対してイエスは神の子とし、その神性を重んじる信仰はアタナシウス派と呼ばれ、325年にニケーア公会議で正統であると認められ、ローマの国教となりました。アリウス派、アタナシウス派の両派閥は激しく対立し、ゲルマン社会と旧西ローマ社会の分裂を引き起こしました。

 

 

 

アリウス派の歴史

アリウス派迫害の時代

アリウス派は「イエス・キリストの神性を否定するもの」とされ、アレクサンドリア地方会議 (321年) 、ニカイア公会議 (325年)などで異端認定をされてしまいます。西ローマ帝国領、東ローマ帝国領の国法で禁止され、提唱者のアリウスは追放されました。

 

反アリウス派迫害の時代

コンスタンチウス2世 (在位337〜361)の治世になると、彼はアリウス派を支援し、今度は反アリウス派への迫害が始まりました。彼の治世のもとでアリウス派は勢力を伸ばしましたが、やがて三派に分かれて互いに対立するようになりました。。

 

クロービスの改宗

フランク王クロービス1世(466年頃 - 511年)は、旧西ローマの住民との融和をはかり、ゲルマン社会で主流とだったアリウス派からカトリックに改宗しました。この出来事を「クロービスの改宗」と呼びます。これによりフランク王国とローマ教会の結びつきが生まれ、ヨーロッパ文化の形成に大きな影響を与えました。