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文明(英: civilization)とは、人間により生み出された文化圏全体のことです。精神的・物質的に成熟している状態ともいえますが、その「成熟」さの指標となるものは文字の有無、技術・機械化の程度、芸術・学問の発達など多岐にわたります。
ヨーロッパ史において、文明の概念は特にルネサンスや啓蒙時代に再定義されました。古代ギリシャ・ローマの文化が「文明の理想」とされ、理性、科学、法の発展が文明の成熟の指標とされたのです。
また、大航海時代以降、ヨーロッパ人は自らを「文明人」として位置付け、他地域を「未開」と見なす傾向が強まりました。この視点は、植民地支配の正当化にも利用され、ヨーロッパの文明観は他地域に大きな影響を与えています。
英語の「civilization」はラテン語で都市・国家を意味する「civitas」に由来しています。古代ローマ時代の文明といえば、「都市生活」のことで、ローマ人にとって領外に暮らす民(ガリア人・ゲルマン人・スラブ人など)は非文明的な蛮族でしかありませんでした。このような文明観は、のちにヨーロッパ全体に広まり、他の地域や民族を「未開」とみなし、征服や植民地化を正当化する論理として使われるようになったのです。
文明はまず農耕文化の勃興と、それにともなう余剰農産物の産出から始まります。ヨーロッパ最初の文明圏であるギリシアは土地自体は痩せていましたが、オリエント文明圏の肥沃な三日月地帯に隣接しており、そこから様々な学や知識、技術を吸収することで文明開花を遂げていきました。
古代ヨーロッパでは、ギリシア文明とローマ文明がその中心でした。
ギリシアは、民主主義や哲学、芸術を発展させ、その知識や価値観は後のヨーロッパ文明の基盤となりました。特に、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者たちが活躍し、人類の思考や倫理に多大な影響を与えたのです。ギリシア文明は、科学や数学の発展にも寄与し、ピタゴラスやエウクレイデスといった数学者がその名を残しています。
続くローマ文明は、ギリシア文明を受け継ぎつつも、独自の法制度や土木技術を発展させました。この技術力は、水道橋や道路網の建設などに見られ、これにより広域統治が可能となったことが、ヨーロッパ文明の形成に多大な影響を与えています。例えばローマの言語「ラテン語」は、現代の多くのヨーロッパ言語の基礎ですし、ローマの法律「ローマ法」は、現代の多くのヨーロッパ国家の法律の基礎となっています。
中世ヨーロッパは、キリスト教が中心となった時代でした。西ローマ帝国の崩壊後、ヨーロッパは封建制を基盤にキリスト教会が強力な影響力を持ち、文化や政治を支配したのです。
中世は「暗黒時代」と呼ばれることもありますが、実際にはカロリング・ルネサンスや学問の復興が行われており、学問や宗教が統合された時代でもあります。特に、修道院が知識の保存と伝達に大きく貢献しました。
この時代の最大の文化的影響は、十字軍を通じてイスラム世界との交流が活発になったことです。イスラム文明からの学問的知識の吸収は、後にヨーロッパでのルネサンスを促すきっかけとなり、とりわけアリストテレス哲学やギリシア・ローマの古典が再発見されたことで、次の時代の文明発展に繋がっていったのです。
15世紀から17世紀にかけてのルネサンスは、古代ギリシア・ローマの知識や文化が再びヨーロッパに広がり、芸術や科学、政治に大きな変革をもたらしました。フィレンツェやヴェネツィアなど、イタリアの都市がこの文化的復興の中心となり、ダ・ヴィンチやミケランジェロといった天才を輩出しています。印刷技術の発展によって、知識が広く一般市民にまで普及するようになったこともルネサンスを後押ししました。
また、宗教改革によりカトリック教会の権威が揺らぎ、ヨーロッパ各地でプロテスタントの宗派が広がりました。これにより、宗教的寛容が進むと同時に、国家権力と教会の分離が始まっています。また、科学革命の進展により、コペルニクスやガリレオ、ニュートンらによる新しい宇宙観や物理学が確立され、近代科学の基礎が築かれたのです。
19世紀から20世紀にかけて、ヨーロッパは産業革命を経験し、技術の進歩によって経済や社会が急速に変化しました。イギリスが先陣を切った産業革命により、蒸気機関の発明とともに生産性が飛躍的に向上し、工場制手工業が普及。これにより都市化が進み、新たな労働者階級が生まれたことで、資本主義と社会主義の対立が深まっていきました。
20世紀に入り、第一次世界大戦と第二次世界大戦という大規模な戦争がヨーロッパを中心に起こり、これが大陸全体に多大な影響を与えました。2つの戦争を経て、ヨーロッパは統一と平和を目指す動きが活発になり、欧州連合(EU)の成立へと繋がります。ヨーロッパの現代文明は、戦争の傷跡を乗り越え、統合と平和を基盤とする新しい秩序を築いているのです。
ヨーロッパの歴史は、数千年にわたって様々な文明が栄えてきました。それぞれが独自の特徴を持ち、文化や技術を後世に伝えてきました。ここでは、特に影響力の大きかった文明を紹介していきます。
エーゲ文明は、紀元前3000年頃から紀元前1200年頃まで続いた、エーゲ海を中心に栄えた一連の文明の総称です。この時期、ギリシャ本土やクレタ島、トロイアなどが文化的に発展し、後のギリシャ文明の基礎となりました。そんなエーゲ文明は、主に3つの重要な文明に分けられます。
キクラデス文明は、エーゲ海に浮かぶキクラデス諸島で発展した文明です。紀元前3000年頃から始まり、独特の白い大理石で作られた彫刻が有名です。小型のフィギュアや神像が多く出土しており、その芸術性は後のギリシャ美術に影響を与えました。また、キクラデス文明は海洋貿易が盛んで、他地域との文化交流も活発だったのです。
クレタ文明、別名「ミノア文明」は、紀元前2000年頃から紀元前1400年頃にかけてクレタ島で栄えた文明です。特に、壮大なクノッソス宮殿で知られており、その建築技術や精巧な壁画は、現代でも驚異的とされています。また、クレタ文明は高度な船舶技術を持ち、エーゲ海全域で海洋交易を展開し、その経済力を築いていました。この時期のクレタ文明は、当時の地中海世界で最も進んだ文化の一つだったと言われています。
ミケーネ文明は、紀元前1600年から紀元前1100年頃にかけてギリシャ本土で栄えた文明です。ホメロスの叙事詩「イーリアス」に登場する英雄たちが生きた時代であり、特にトロイア戦争の伝説は有名です。ミケーネ文明は、壮大な城塞都市や金細工などの優れた工芸品が特徴で、その影響は後のギリシャ文化に大きく貢献しました。戦士文化と貿易が発展し、地中海世界に広がる交流網を築いたのです。
トロイア文明は、ミケーネ文明と同時期に現在のトルコ西部に位置するトロイアで栄えた文明です。ホメロスの叙事詩「イーリアス」にも登場する伝説的な都市で、紀元前13世紀頃にはミケーネと激しく争いました。トロイア文明はその都市計画や防衛施設が高度に発展しており、考古学的にも重要な発見が多数あります。特に、19世紀の発掘で確認された「トロイの木馬」の伝説が広く知られています。
古代ギリシャ文明は、紀元前8世紀から紀元前1世紀にかけて栄え、ヨーロッパ史において最も影響力のある文明の一つです。ギリシャ人は民主主義の発展に貢献し、哲学や科学、芸術の分野で数多くの業績を残しました。特に、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者たちは、後の西洋思想の基礎を築きました。また、オリンピックの発祥や劇場文化、建築(パルテノン神殿など)は、現代に至るまで大きな影響を与えています。
古代ローマ文明は、紀元前8世紀に始まり、紀元後5世紀まで続いた大帝国です。ローマは、強力な軍事力を背景に地中海世界を統一し、広範囲にわたるインフラ(道路、水道、港湾)を整備しました。ローマ法は、現代の法律システムの基盤となり、またラテン語は後のヨーロッパ諸言語に大きな影響を与えました。ローマは、ギリシャ文明を吸収しつつも、自らの統治システムや建築技術を発展させ、コロッセウムやパンテオンといった建造物を築きました。ローマ文明は、ヨーロッパ全体に渡る文化的・技術的な遺産を残したのです。
以上、ヨーロッパ文明史についての解説でした!
まとめると
・・・という具合ですかね。
つまるところヨーロッパの文明は、歴史を通じて多くの文化・技術的遺産を築き上げ、現代にまで続く発展を遂げているという点を抑えておきましょう!