
紀元前30世紀頃から前12世紀頃までにかけて、エーゲ海周辺で栄えていたいくつかの青銅器文明の総称をエーゲ文明といいます。そのうちキクラデス諸島で前30世紀頃には成立していたエーゲ最古とされる文明がキクラデス文明です。
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キクラデス文明が栄えた範囲
キクラデス諸島はエーゲ海中部に位置する島々で、デロス島、ナクソス島、シロス島、シキノス島、イオス島、サントリー二島など約20の島で構成されています。「キクラデス」の名はギリシア人の宗教的中心地とされたデロス島を環(キクロス)状に囲んでいることに由来しています。
キクラデス文明最大の特徴といえば、純白の大理石から作られた女性像です。大理石の女性像はエーゲ海全体で出土しており、これはキクラデス諸島が、ギリシア本土とアナトリア(小アジア)、クレタ島を繋ぐ交易上の重要地点であったことを意味しています。
ミロス島でしか産出されない黒曜石や、ギリシア本土でしか産出されない銀や銅が、キクラデス文明の遺跡から発掘されています。このことから、海上交易による物の移動がさかんに行なわれていたと考えられています。文明後期からは船の模型も出土しています。
キクラデス諸島北東部のケア島にある採掘遺跡では、銅細工が盛んに行われていたことがわかります。ここでは、銅を使用したさまざまな工芸品が作られ、これがキクラデス諸島の他の地域や外部との交易品としても利用されていたと考えられています。
キクラデス文明は、エーゲ海文明の中でも最古とされていますが、前20世紀以降、その独自性は徐々に影を潜めていきました。特に、南方のクレタ島に栄えたミノア(クレタ)文明の影響を強く受けるようになり、この影響はキクラデス諸島の文化や技術にも顕著に現れ始めました。ミノア文明の豊かな文化と技術がキクラデス諸島にもたらされたことで、キクラデス文明は次第にミノア文明の様式を取り入れ、同化していく過程を迎えるのです。
アートや建築に見られるミノアの影響は、キクラデス文明が単なる一地域の文明から、より広範なエーゲ文化圏の一部として組み込まれていったことを示しています。
また、ミノア文明の政治的、経済的な力も、キクラデス諸島の社会構造や経済活動に大きな影響を与えました。ミノアの商人や工芸品がキクラデス諸島に流入することで、地元の産業や芸術がミノア文明の影響下に置かれるようになったのです。
以上、キクラデス文明についての解説でした!
ざっくりと振り返れば
・・・という具合にまとめられるでしょう。
ようは「キクラデス文明は、交易と文化的な交流を通じて、後のエーゲ文化圏に統合されていった。」という点を抑えておきましょう!以下でキクラデス文明に関するQ&Aをまとめていますので、さらに詳しく知りたいという方は参考にしてみてください。
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