ミケーネ文明

ミケーネ文明

紀元前30世紀頃から前12世紀頃にかけて、エーゲ海周辺で栄えていた青銅器文明の総称をエーゲ文明といいます。このうちペロポネソス半島のミケーネを中心に栄えたのがミケーネ文明です。前16世紀頃、ギリシア本土のヘラディック文明と、クレタ島のクレタ文明の影響を強く受けたことで成立しました。クレタ文明が滅んだ15世紀以後に全盛を迎え、エーゲ地域全体を支配する統一的文明となりました。

 

 

ミケーネ文明の特徴

ミケーネ文明で使われていた線文字B

 

ミケーネ文明の遺跡としては、ミケーネのアトレウスの墓、獅子門などの城塞跡などが有名です。王宮跡からは、多彩な壁画・陶器、線文字Bの刻まれた粘土板などが出土し、文化的に高度に発達した文明であったことがうかがえます。また宮殿が堅牢な城壁に囲まれていること、陶器類の絵柄が主に兵士や武具であることから、ミケーネ文明が栄えた時代は戦争が多かったのではと考えられています。※

 

※ミケーネに多大な影響を与えたクレタ文明の宮殿は、城壁もなく外部からの進入が容易な開放的な造りでした。このことからクレタ文明が栄えた時代は、争いのない平和な時代であったと考えられています。

 

ミケーネ文明の歴史

トロイア戦争

アカイア人の小アジア遠征に端を発するトロイア戦争において、都市トロイア(イリオス)が陥落する様子を描いた『トロイアの炎上』( Johann Georg Trautmann作、1759〜62)

 

ギリシア神話で語り継がれる内容の一つに、トロイア戦争と呼ばれる有名な戦争があります。アカイア人によるトロイア(現トルコ北西部)への遠征がきっかけで起こったとされています。ギリシア神話は歴史書ではなくあくまで神話なので史実ではありません。しかし19世紀末、ハインリヒ・シュリーマンがトルコ北西部の遺跡を調査した結果、古代都市が火災に見舞われた考古学的証拠が見つかりました。このことからトロイア戦争は、実際にトロイアで起きた戦争をもとに創造された神話である可能性があるのです。トロイア文明は前12世紀中頃に滅びますが、これがミケーネの侵略によるものであるという推察も成り立つのです。

 

滅亡

海の民と戦う古代エジプトの軍。海の民はミケーネ文明を滅ぼしたと考えられている。

 

エーゲ地域全体を支配するほど栄華を極めたミケーネ文明ですが、前12世紀に突如として起こった謎の社会変動で滅亡してしまいます。この前1200年のカタストロフとよばれる社会変動の原因としては、気候変動による飢饉、疫病の蔓延、戦争、海の民による侵略などなど諸説唱えられていますが、はっきりしたことはわかっていません。おそらく複合的な要因で滅んだのでしょう。